今回は、太宰治が遺書のつもりで書き綴った第一創作集『晩年』のご紹介、そして太宰作品の独特の魅力について語ります。
処女作品集『晩年』について
「晩年」は、太宰治の第一創作集。
昭和十一年に砂子屋書房より刊行されました。
ちなみに、「晩年」というタイトルの小説はありません。「晩年」はあくまで、作品十五編をまとめたものの総題にすぎないのです。
「晩年」つまり ”一生の終わりの時期” なんて、やたらに暗いタイトルだなあと思われるでしょうが、それもそのはず。
当時まだ若かった太宰は、自殺を前提にして、遺書のつもりで、この小説を書きはじめたのです。
「晩年」について、太宰自身は次のように述べています。
私はこの短編集一冊のために、十箇年を棒に振った。
まる十箇年、市民と同じさわやかな朝飯を食わなかった。
この一冊のために、身の置きどころを見失い、たえず自尊心を傷つけられて世の中の寒風に吹きまくられ、そうして、うろうろ歩きまわっていた。……(略)
(巻末解説より引用)
ここまで読んで、それならさぞかし暗く陰気な内容のお話なのだろうなあ…と思われた方も多いのではないでしょうか。
実のところ私も、この本を実際に読むまではそんなふうに思っていました。
でも、実際読んでみると、読む前に想像していたのとはまるで真逆の、明るい、さわやかといっていいくらいの読後感がありました。
『晩年』は、決して真っ暗な絶望の語り集ではありません。
軽めの文体に、むしろからりと明るい印象さえあります。
その合間合間ににじむ、太宰作品特有の厭世観。中毒性ある、あの独特の文体。
お話の内容よりも、むしろ文体そのものだけで楽しませてくれる作家というのがありますが、太宰作品はまさにその最たるものです。
収録作品一部感想
『葉』
こんな出だしです。
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。
これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。(本文引用)
おお、緊迫感ある良い出だし…と、思っていたら、すぐにびっくりするくらい日常的な感覚、描写が入ってくる。
ひとりの人の感情の起伏というのは、たぶん、こんな感じですよね。
リアルだなあ…と思います。
『猿ヶ島』
サルの独白。
面白い「見世物」だと思っていた人間たちから、実のところ自分たちが「見物」されていた。
屈辱を我慢してこのままここに居れば、食べ物に困ることはない。けれどーー
ああ。この誘惑は真実に似ている。あるいは真実かもしれぬ。
私は心のなかで大きくよろめくものを覚えたのである。
けれども、けれども血は、山で育った私の馬鹿な血は、やはり執拗に叫ぶのだ。
ーー否! (本文引用)
すごく短いお話なのだけれど、何度も繰り返し読んでしまう。
ようやく自由の中にいるのだという解放感。ひらけた明るい心が、一つの暗い疑念によってひと息に打ち崩れされる瞬間。
人間の子供が無邪気にじっと見つめる瞳。
サルをふりまねく自然の呼び声。
太宰は、動物の目を通していったい何を描きたかったのでしょう。
「囚われの身」であることへの絶望と、そこからの「脱出」。
もちろん解釈は人それぞれですが、このお話の主題は、たとえば「動物愛護」のような単純な概念ではないように思います。
作中のサルとはおそらく、私たち人間をそのまま揶揄した存在なのではないのでしょうか。
太宰文学の魅力とは
「晩年」の収録作品ではありませんが、太宰の代表作『斜陽』の中にこういう描写があります。
私は、お母さまはいま幸福なのではないかしら、とふと思った。
幸福感というものは、悲哀の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。
悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感というものなら…(本文一部引用)
悲哀の底に沈んで、幽かに光っている砂金。
いいですよね。ここの描写。
「悲しみ」があくまで綺麗な形で、でも決して嘘くさくなくリアルに描かれているところが、太宰作品における最大の魅力ではないかと思います。
私たちは日常的に、ふとした瞬間にそんなふうに思いますが、実際のところ、自分のもとめる幸せ像がどんなものか具体的に脳裏に思い描ける人というのは、実際はかなり限られているのではないでしょうか。
たとえずっと求めていた幸福を手にしたところで、たいていの人はまたすぐに違うものが欲しくなったりしますよね。
なんせ隣の芝は青いし、隣の花は赤い。
世の中には「綺麗な色」があちらこちらに溢れています。
太宰はおそらく、そういった人の悲しい習性を誰よりもよく解っていたのではないか…と思います。
そうでなくては、こういう文章は絶対に書けないと思う。
太宰が自ら生命を絶ったのは、しにたかったからではなく、ほんとうの幸せというものを嫌というほど知っていたからなのではないでしょうか。
それでは、今日はこのへんで。