当ブログを開設して、とりあえず1か月が経ちました。
現在の投稿数は32記事。まあまあのペースでしょうか。
まああとで読み返すと 何だこれ?となる内容も多いですが(いずれ消すかも…)、とりあえず3日坊主とかにはならずに済んだのでひとまずは安堵しております。
ブログ イコール 書簡体小説?
ところでブログを書いているとき、なんとなく脳裏に浮かぶお話が私にはふたつあります。
ひとつは、ジェーン・ウェブスター著「あしながおじさん」。
もうひとつは、コルビー・ロドースキー著「ルーム・ルーム」。
~かんたんあらすじ~
孤児院で育った身よりのない少女ジュデイの文才が、ある資産家の目に留まる。
ジュデイは彼に毎月手紙を書くことを条件に、大学進学のための奨学金を受けられることになる。
ジュデイは彼のことを「あしながおじさん」と呼び、日々の生活のあれこれを手紙につづる。
本作品はすべて、導入部以外は、”ジュデイの手紙”のみで構成されている。
最愛の母を亡くしたリビィという少女が、母の友人ジェシーに引き取られる。
母とは正反対の性格のジェシーに、リビィは反発するが、時が経つにつれて、すこしずつ心をひらいていく。
本作品は主に、リビィが亡き母に語りかける形を中心に構成されている。
もうお気づきですよね?
両作品とも主人公が顔も知らない相手、もしくはもう二度と会えない相手に向けて、自分の内面を吐露していく形から成っています。
ちなみにこういう作品の事を、書簡体小説、というそう。
登場人物の書簡(人に送る文書、手紙のこと)を連ねることにより、間接的にストーリーが展開していく形式の小説。
18世紀ごろ、フランスなどで盛んになりました。
考えてみるとブログというのも大きな目で見れば、この書簡体小説と同じ部類なのですよね。ネット上の、顔も知らない、どこの誰かさえ分からない相手に向けて、届くかどうかもよく分からない記事を書きつづける。
たとえばはてなブログの場合、いろいろなグループがあったりして、横のつながりはできやすいのですが、それでも書くという行為は、基本的には地道かつ孤独なものです。
結局書くのはたのしい
では、なぜブログを書くのか。
書くのをやめることは簡単です。別にあしながおじさんのジュデイのように義務付けられているわけでもないのですから、何も書かなくたって人は十分生きてはいけるわけで。
それでもやっぱり何かを書いてしまうのは、結局は書くという行為に快楽がともなうためでしょう。自己分析にもつながりますしね。
私はブログとは別に、ここ数年自分のためだけにつけている「日記」があります。
SNSとかでなく、word文書とかでさえない、ただの大学ノートにつらつらと書いているもの。もちろん誰に見せることもないので、内容は他愛ないものです。字も汚いですし、もはや自分にしかわからないレベルのものも多数。
まあ自分にさえわかれば、それで十分。
そう思ってはいましたが、しかし「読んでくれるどこかの誰か」を意識した文章と何の意識もない文章というのは、明らかに質が違うのですよね。
端的に言えば、やっぱり「人の目を意識した文章」は、そうでないものにくらべると明瞭で意味がとりやすい。
というわけで、今後も、ひとまずは自分のスキルアップを目標に、細く長く、記事を書き続けていければなあと思います。
まずはブログ初心者の登竜門とされる「とりあえず100記事」を目指します✨
100記事書かないうちに脱落していたらどうか鼻でわらってやってくださいね。
それでは、今日はこのへんで。