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モンゴメリ「赤毛のアン」シリーズ (小説全7巻・訳 村岡花子)アンという一人の少女が大人の女性に成長するまで 

今回は、不朽の名作「赤毛のアン」シリーズの小説の感想をまとめました。

 

 

はじめに

幼い子どものみならず、大人にもお年寄りにも、女性にも男性にも、またどこの国の人にも同じように愛される作品というのがあります。

 

この「赤毛のアンシリーズ」も、まさにそのひとつ。

赤い髪とそばかすがチャームポイント、空想癖のある魅力的な少女アンの名前は、いまや、世界中に知れ渡っています。

 

ほんとうにすぐれた作品というのは、国を超えて、時代を超えて受け継がれます。

 

最近だと、「赤毛のアン」をドラマ化したシリーズ「アンという名の少女」がNHK総合で放送されて、注目を浴びていますね。

また、当作品を翻訳した村岡花子さんの生涯を描いた2014年のNHK朝ドラ「花子とアン」も、まだ記憶に新しいところ。

 

赤毛のアン」の作品名を聞いたことのない人は、そうそういないと思います。

ですが、当作品を「魅力的な女の子が主人公の、明るく愉快な、子ども向けの読み物」にすぎないと認識している人も、案外多いのではないでしょうか。

 

たしかに「赤毛のアンシリーズ」は「児童書」に位置づけられがちですが、私は作品を子ども向けだと思ったことはありません。

 

赤毛のアンシリーズ」では、アンという女性ひとりだけでなく、さまざまな人の人生が描かれています。

 

どんな人も、生きていれば必ず、失望することがあります。絶望することがあります。どんなにまっすぐ歩いていても、つい脇道にそれたり、つまずいてしまうことだってあります。

当シリーズには、それぞれの生き方をやさしく肯定し、包み込んでくれるような包容力、著者モンゴメリの深い愛情が溢れていると思います。

 

シリーズの1巻目「赤毛のアン」しか読んだことがないという方も、ぜひこの機会に、全7巻を通して、アンの成長、そして彼女と関わるさまざまな人たちの人生を、心ゆくまで味わってみてはいかがでしょうか。

 

赤毛のアン」はどんな作品?

著者ルーシー・モード・モンゴメリは、カナダの女流作家。

1874年にカナダの東海岸プリンス・エドワード島に生まれました。

主人公アンと同じように、幼い頃から空想力に富んでいたそう。

 

小さいときから「長い小説を書きたい」という願望を持っていた彼女は、おとなになり、郵便局の事務の仕事のかたわら、せっせと書きはじめました。

こうして生まれたのが「アン・オブ・グリン・ゲイブルス」(赤毛のアン)でした。

 

ひとりの人の脳内にほわっと生まれた空想上の人物、架空の世界が、世界中の人の心に響き、のちの世まで受け継がれる。

すごいことですよね。

 

それでは、当シリーズを読んだ感想をポイントごとにまとめていきたいと思います。

 

赤毛のアン

・育ての親マシュウとマリラ

空想好きの少女アンが、マシュウとマリラ兄妹にひきとられるところから、物語は始まります。

(私、昔はてっきりマシュウとマリラは夫婦なのだと思い込んでいたのですが、違うんですよね!)

 

そもそも、ふたりの希望は、「マシュウの農業の手伝いをしてくれる男の子がほしい」ということでした。

しかし、何の間違いか、孤児院から送られてきたのは男の子ではなく、真っ赤な髪を持つ風変わりな女の子、アンだったのです。

 

1巻目「赤毛のアン」において注目すべきは、やはりアンの生まれ持った明るさと強さ、ひたむきさ、想像力、独創性、そういうもの。

だって、やっぱり、こんな女の子はそうそういない。

 

「アンのつづりは、Annじゃなくて、おわりにEの字がついてるのよ!!」

ここ、好きです。可愛すぎる。

 

まあ、とうぜん架空の人物ではあるのだけれど、そうは感じさせないほどのはっきりしたリアリティが、アンにはちゃんとある。

血のかよったひとりの人の温もりを、モンゴメリは、アンにきちんと与えている。

 

それから、アンと、養親であるマリラ、マシュウ、この3人の関係性も、見どころのひとつですね。

前述したように、マリラとマシュウは、夫婦ではありません。

現代ならばいざしらず、ひと昔前に所帯を持たず、ずっと兄妹ふたりきりで暮らしているというのは、やっぱりちょっと”イレギュラー”なこと。

 

超がつく人見知りで、「女嫌い」のマシュウ。

とっても厳格で、気難しいマリラ。

 

”みなしごをひきとった”という一点だけを見れば、彼らふたりがアンを「救った」ということになるのかもしれません。

でも、実のところは、彼らのほうがアンに「救われた」面も、とても多いのではないのかなと私は思います。

 

「あの子を育ててよかったじゃないか?マリラ」

「よかったと思ったのは、これがはじめてではありませんよ」(本文引用)

アンの卒業式にて、このふたりの会話が、とても好き。

 

あと、

「わしには十二人の男の子よりもおまえひとりのほうがいいよ」(引用)

 

マシュウのこの名台詞(?)は、外せませんね。

~よりおまえひとりのほうがいい」!!

この破壊力!

しかしこういう言葉をさらりと言えるとは、マシュウさん、実は人たらしなのでは?(笑)

 

・親友ダイアナ

「太陽と月のあらんかぎり、わが腹心の友、ダイアナ=バーリーに忠実なることを、われ、おごそかに宣誓す」。(本文引用)

 

これですね!

腹心の友」!!

いや~本当に、子どもの頃から、このワードにどれだけ憧れたかわかりません(笑)

 

ダイアナは、いわゆるお嬢さんで、おっとりとした優しい性格の持ち主。

明るくてお喋り、想像力豊かでちょっとせっかちなアンとはどちらかというと正反対。

 

ご存じですか? 

全7巻、この長いシリーズのなかで、アンとダイアナはただの一度も、口喧嘩とか、互いをけなしたり、羨んだりねたんだり、そういう行為によって友情をけがしたことがありません。

いつだって、お互いが、お互いを尊敬して、尊重している。

 

現実だと、女の子同士の友情ってなかなかムズカシイ部分もたくさんありますが、このふたりの関係性には、本当に心洗われる思いがします。

羨ましいですよ。ほんとうに。

 

・ギルバート

ギルバートについてですが…、

彼とアンの出会いというのは、なんかちょっと王道少女漫画チックだなあと、個人的には思っています。

 

ほら、ありがちですよね?

第一印象はお互いサイアクで、でもどうしたって互いを意識せずにはいられなくって、意地はって意地はって、挙句、どっぷり恋に落ちてくっついちゃう、お約束パターン。

 

というか、ギルバートくんのほうは大分早い段階でアンに惚れているのが、読者には、わりとはっきり分かります。

しかし悲しいかな、典型的な「好きな子ほどいじめたい」というやつなので、アン本人にはまっったく好意が伝わっていない。むしろ嫌われる一方なのです。

 

赤毛のアン」はシリーズ通して、決して「恋愛」のみに強く焦点が当たっているわけではないのですが、

もし、当シリーズを全編通して「ギルバート視点」で書き換えたら、完全に心理描写の濃厚なレンアイ小説になってしまうと思う。それもかなり一方的な。

(勝手に二次創作したら怒られるかな…(笑))

 

でもね~、やっぱり気になる女の子に「にんじん!」は、いただけませんね。

 

「アンの青春」「アンの愛情」

2作目「アンの青春」では、アンはアヴォンリーの村で、先生として働きはじめます。

そして3作目「アンの愛情」では、ついに村を出て念願の大学生となり、新たな生活のなかで出会った多くの人たちと、豊かな関係性を育んでいくのです。

 

読者として何より嬉しいのは、年齢的にも内面もすっかり大人になり、一人前のレディとなったアンのなかにも、1作目で私たちを魅了した小さな女の子アンの姿が、たしかに息づいているということ。

 

「あたしはちっとも変わっていないわーーほんとに、いつも同じアンよ。

ただ刈りこみをしたり、枝をひろげたりしただけなの。

ほんとうのあたしは、そのうしろにいて、同じなのよ。

心はいつまでもマリラの小さなアンなのよ。」(本文引用)

 

そして「アンの愛情」で描かれる大学生活のなかで、アンはとある男性と出会い、お付き合いをはじめます。

ギルバートではない男性と。(!!)

 

ここの展開は、本当にね…

ふたりの男性を振り回すアンの性悪ぶりに、驚愕です…!

 

でも、まあこういうのは、若い時分にはありがちなこと。
だって、その「ギルバートではない男性」は、本当に素敵な人なんですよ。

優しくて、社交的でスマートで、「the 麗しの王子」みたいな人。
あっさり心をつかまれて、「あ、この人だ…!」となっちゃうアン。

長いことお付き合いをして、プロポーズまでされたのに、土壇場であっさり彼を振ります。
あ、やっぱり、違った…。この人じゃない!

いや~ただただ、お気の毒です。(笑) 
フラれた彼も、ずっとアンひとりを真摯に想いつづけてきたギルバートも。

 

まあ、1巻目からずっと読んできた読者としては、「やっと気づいたか、アン……!」ですけどね。(笑)

 

それからもうひとつ、外せないのは、親友ダイアナの結婚です。

村を出て、都会の華やかな生活に足を踏み入れたアンとちがい、ダイアナは村に残って、娘として静かに家庭に入る道をえらびます。

前述したように、彼女は少しも、アンを羨んだりねたんだりはしない。

互いの生活が変わっても、物理的な距離が離れても、このふたりの友情は、子どもの頃とまったく変わることがありません。

 

誰もがスマホを持っている現代ならば、遠く離れても連絡を取るのは簡単ですが、アンたちの場合は、そうはいかない。

マリラ、ダイアナ、その他ふるさとの友人たちとの手紙のやり取りが、ほんとうに温かい。

過去記事で、「書簡体小説」というものに少し触れましたが、個人的にはこのアンシリーズの2作目3作目にも、ちょっとそれに似たあったかさ、ほっこり感を感じます。

 

itono-tono.hatenablog.com

いやしかし…

手紙っていいよね!!

 

 

 

「アンの夢の家」

紆余曲折を経て、何とか無事に幼馴染ギルバートと結ばれたアン。(おめでとう!)

新婚生活。妊娠、出産。

新たな地で生まれる、新たな友情。


この巻では、アン、ギルバート夫妻とは別に、レスリー・ムアという女性に大きく焦点が当てられます。

アンと気が合うようで、どこかよそよそしいレスリー。そのわけとは。

 

「虹の谷のアン」「アンの娘リラ」「アンの友達」

 

アンはギルバートとのあいだに、ジェム、ウオルター、ナン、ダイ、シャーリー、リラという6人の子どもたちを授かります。

ここで描かれているのは、アンの子どもたち、そして、友人たちのこと。

おわりに

「虹の谷のアン」以降の巻では、主にアンひとりにスポットが当たっていたときとは、ちょっと違う色があります。

それはきっと、それまでのアンシリーズとは違って、より多角的な視点で、よりさまざまな人の生活、人生が、色鮮やかに描かれているから。

 

やがて始まる第一次世界大戦

悲しくつらい展開も、たくさんあります。

 

そんななかでもやっぱり、当シリーズ全体にただよう希望の色、明るい光が色あせないのは、作品全体に、書き手モンゴメリの愛情があふれているからだと思います。

私は、まだ幼い少女アンも、成長し夫を持ち、母となったアンも、同じように大好きです。
多くの読み手にそう感じさせてくれる作品というのは、時代、ジャンルを問わず、とても貴重なもの。

 

とても不安定で、いつどんなことが起こってもおかしくない時代ですね。
読書というのは、思う以上に、私たちを励まし、力づけてくれるものだと思います。

 

赤毛のアンシリーズ」は、静かでやさしい、たしかな愛情がただよっている作品です。

皆さまもぜひ、今一度、じっくりとお読みになってみてはいかがでしょうか。

 

 

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それでは、今日はこのへんで。

またお会いできますように。