疲れたときほど本を読みましょう

文学とエンタメが日々の癒し。 好きな作品の感想や日々のあれこれをマイペースに綴ります。

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ひよこ売り

街をあてもなく歩いていたら、向こうのほうから、ひとりの男が近づいてきた。

シルクハットみたいな真っ黒な帽子を目深にかぶり、何やら木の箱のようなものを、大事そうに抱えている。
着ているシャツはまっしろの襟付きで、いかにもデキる仕事人間といった雰囲気なのに、下にはいているのは、どこぞのおじさんが家のなかではいていそうな、うすいグレーのスウェットである。

直感で、あやしい、と思った。
なにがと問われてもわからない。直感は直感である。

あとになってからいろいろと考え合わせると、男の身に着けているものにただよう、どこか異様な雰囲気とか、トップスとボトムスとのあいだの甚だしい上下乖離、あるいは、日頃ほとんど目にすることのないシルクハットなる代物に対する警戒、嫌悪感、そういったあれこれが、私に、居心地の悪い不安感、ほとんど恐怖に近いような感情を抱かせたのかもしれないともおもう。

しかし、そのときは当然、それほど複雑な思考をとっさに巡らせられやしなかった。
私は、胸のうちで高鳴る警報をどうしても無視できずに、だが俊敏にその場から立ち去ることもできないまま、ひたすら目を大きくしてくだんの男が近づいてくるのをただ待っていた。

男が近づいてきた。
立ちすくむ私の、すぐ目の前に立った。

「こんにちは」
男が言った。
「こんにちは」
私も答えた。

そこで初めて、まっすぐに男の顔を見てみた。
男の顔はまるく、目はほそく、唇はたいそう分厚かった。
しかし、先ほどの少々不気味な印象と違い、どこか親しみの持てる雰囲気が、彼の目のあたりにただよっているのがわかった。

「ひよこを買いませんか」
男が、とうとつに言った。
「ひよこですか」
私は、オウム返しに訊き返した。

男は、小脇に抱えた木の箱をそっと両腕に抱え直して、私に、もう少しこちらへ来るようにと目顔で示した。
私は、もう数歩、彼のほうへ近づいた。

男が、木の箱のふたに手をかけた。
どこか愛しむような表情をうかべながら、そっとふたを開けて、私のほうにさしだした。

私は、すこし警戒しながら、箱のなかをのぞきこんだ。
箱の中には、小さくて色とりどりのもこもこしたものがたくさん、ごそごそ、もぞもぞとうごめいていた。
しばし見つめているうちに、それが、明るい色の染料で着色された大勢のひよこたちであることがわかった。

「ひよこですね」
「ええ」
「おいくらですか」
「一羽300円になります」

ひよこの値段の相場を知らないので、私は困ってしまった。
しかしここまで訊いておいて買わないのもどうなのだと思ったので、ポケットをさぐって、三枚の硬貨を男にさしだした。

男は金をうけとると、青いひよこを一羽、私にそっと手渡し、それ以上なにも言わずに、いま来た道を去っていった。その素早いこと素早いこと、逃げ足が速い、ということばが自然、頭にうかぶ。

ああしまった、今のは新手の押し売りか、そのたぐいの何かなのではないかと、そのとき初めて思ったが、まあ買ってしまったものはしかたない。
私は買ったひよこを大事に抱えて、うちへ戻った。

家に戻り、おなかがすいていたので、冷蔵庫を開けた。
なかには卵しかなかったのでそれを出して、それからフライパンを火にかけて、おもむろに焼きはじめた。

焼いていると、ふと、かたわらのローテーブルに置いていたひよこが、いきなり奇声を発しはじめた。

文字通り、奇声である。
ぴいぴいでも、ぴよぴよでもない。強いて言えば、があがあ、ざあざあとなんとも高度な不快指数をそなえた声色であった。
振り返ると、小さなひよこが、全身の青い毛を逆立てながら、私を見つめていた。


そうか、ひよこの前でにわとりの卵なんか焼いたから、怒ったのか。

そう、ようやく気づいた刹那、目が覚めた。

 

 

【追記】


と、いう夢をみました。

皆さまも、ひよこの押し売りにはご注意を。

あ、ちなみに、ひよこ一羽の値段は、メスなら2、300円、オスなら数十円だそうですよ。(いらん情報)

 

それでは、今日はこのへんで。

またお会いできますように。