今回は『暁のヨナ』で個人的にもっとも気になるキャラクター ゼノについて個人的な所感を綴っています。
『暁のヨナ』の裏主人公はまちがいなくゼノだと思う
”裏主人公”という呼称がふさわしいのかはさておき、作品を大きな目でみればゼノは確実に、ハクヨナスウォンというメインキャラ以上に重要なポジションにいることはたしかなのではないでしょうか。よく聞く「物語の鍵をにぎっている」というやつですよね。
『暁のヨナ』という作品の根幹、基盤の部分にあるのは間違いなく「四龍伝説」でしょう。
「四龍は民を守ってくれるありがたい存在である。だから大事にせねばならない」という初期の信仰なんて今やほとんど消えていて(白龍の里は別ですが)、今や四龍の存在はほとんど呪いに近い扱いに変わってしまっているのが現状です。
ゼノは何千年もの長いあいだ、たったひとりでその経緯を傍観してきたんですよね。
傍観、ここがポイントだと思う。
なぜただ黙って見ていたのでしょうか。
代々の四龍たち、それから紅龍王の子孫たちまで、ひとりひとりをじっと観察していながらも、ゼノはそれ以上のことは一切しなかった。
そもそもゼノは、現四龍たちには子どものころに一度、会いにいったりもしていて、まあそれはたぶん待ち望んだ赤龍王の生まれ変わり(=ヨナ)がようやく現れたから、やっと事態が動くかもしれないという予感があってのことだったのかもしれないけれども…
…うーん、しかしやはりそこまでウン千年も全く何もしなかった、というところが個人的にはどうにも腑に落ちないのですよね。
要は、代々の四龍たちに会いに行っても良かったのではないかと思ってしまう。
初代から生きているゼノは間違いなく「四龍」という存在に対して誰よりも思い入れがあるはずです。
意識的に何もしなかったのか、あるいはしたくなかったのか…
誰よりも「当事者」であるくせに、初期から現在に至るまでずっと、「四龍」というビッグすぎる存在から一歩身を引いている。部外者みたいな顔しながら、ひょうひょうと生きつづけている。それがゼノです。
普通ならありえないその「他人ごと」な姿勢というか生き様が、このキャラクターのもっとも「面白い」ところなんだよなあと私は思います。
「ゼノの願い」とははたしてなんだろうか
208話ラストで「神さまに背いても願いを叶えてみせる」なんてキリっとした顔で言ってたけど、いや、この「願い」とははたして何なんでしょうね。
スウォンとふたりきりで話をした直後という、読者にもなかなか印象に残りやすいところでの台詞ですし、おそらくひとつの「伏線」として後々ちゃんと回収されることとは思いますが…
直前までのスウォンとの会話の内容もかんがみるに、まあ十中八九「四龍伝説がらみ」であることはまず間違いないかと思います。
四龍伝説を終わらせて欲しい。こんなところでしょうか。
まあ流れ的にはあり得るけれども、それではさすがにストレートすぎるような気もするし、そもそも「神さまに背いて」という部分がよくわからなくもなりますね。
あるいは彼の最愛の女性である、カヤさん絡みのことでしょうか。
カヤにどうしてももう一回会いたい。だから四龍伝説はもういい加減にしてくれよ。
あ、結局これも一緒か…
何にしても「四龍」という存在を誰よりも愛し、同時に憎んでいるのは他ならぬゼノのはずです。
でも事態を動かす…となると愛憎の念だけではどうにもならない。
紅龍の生まれ変わり、すなわちヨナが今以上に「何か」に目覚めて自覚しないと、ゼノも動きようがないんじゃないかと思っています。
それはたぶん、国のトップとしてどうこう~とかそういう生ぬるいことではなくて、きっと、もっと根本的なこと…
なぜ紅龍王は今の時代にふたたび生まれてきたのか?
なぜ、それが紅龍の血をひいた現王スウォンではなく、姫であり弱い立場である自分だったのか?
結局の問題というかテーマはまさにここですよね。
ヨナも作中でちょっとずつ考えているようですけど、おそらくまだ根本に触れてはいないだろうなと思います。
ヨナが「それ」に気づいたとき、そこでようやく初めてゼノも動けるのではないでしょうか。
ゼノはたぶん、ずっと待っている。
「願い」をかなえるために、「四龍」のひとりじゃなく、「ゼノ個人として」動けるようになる瞬間を。
というわけで何とも抽象的な内容になってしまいましたが、正真正銘の主人公、ヒロインであるヨナの動きを今後も楽しみに追っていきたいと思います。
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それでは、今日はこのへんで。