原作小説がすごく好きで何度も読み返しているんですが…
うーん、やっぱり気になるんですよね。
ラスト、結局なにも解決していない気がして。いや、それでいいのか…
芥川賞作家 今村夏子さん著『星の子』かんたんあらすじ
・主人公ちひろは、生まれたときから体が弱く病気がち。
しかし父親が同僚に勧められた「水」を試したとたん、なぜかあらゆる不調が治ってしまい、健康体となる。
・それがきっかけで、ちひろの両親は新興宗教に傾倒するようになる。
高価な水を買いつづけ、その水を染み込ませたタオルを頭の上に置くなどの「儀式」をおこなうなど、日常もどこか異常性を帯びたものへと変わっていく。
・ちひろの姉まーちゃんは、家出をして行方がわからなくなる。
ちひろ自身も、友人や先生などとうまくいかない場面が増えていく。
・ちひろは両親とともに宗教団体のセミナー(?)に参加する。
夜になり、宿舎の外の丘に出て、両親と三人で流れ星をみる。
宗教は人を幸せにするのか?
このお話には、最初から最後まで静かな「不穏さ」が漂っています。
何かすごくセンセーショナルな出来事がどんと起こる、というわけではなくて、ひとつひとつは小さいけれども決して見過ごすことのできない出来事がぽつぽつと生じていく。
そして最終的にはそのすべてが「宗教」という終着点に通じているのです。
宗教ははたして、人を幸せにするのでしょうか。
この家族において、まず両親はまちがいなく「宗教」によって幸福を手に入れたのだと思います。
何かひとつ、はっきり信じられるゆるぎない存在があるというのは、やはりとても心強いことですから。
信仰心を持つにいたる流れも、決して不自然なものではありません。
娘ちひろに関する心配事が全部、宗教の存在によってあっさりと消えてしまった。
ようやく取り戻した心の安寧がそのまま、強い信仰心に変わっていった。
でもその信仰が強すぎることによる弊害というのも、やっぱり、ちゃんとある。
このお話で言えば、2人の娘ーーまーちゃんとちひろの存在です。
まーちゃんは、早いうちに逃げた。家から、家族から逃げた。
ちひろは未だに両親のそばにいる。
不安や迷い、時には恐れも抱きながらも、まだ「両親を疑う」には至っていない。
原作小説のラストはハッピーエンド?
小説では、親子3人で身を寄せ合って流れ星を見る、という場面でお話は終わります。
会話の描写もどことなくほのぼの感があって、一見ハッピーエンドっぽくもあるのですが…
個人的には、このラストに至るまで主人公ちひろが両親に激しく反抗するような場面が一度もなかったことが、ちょっと不思議だったり、不安だったりもします。
ちひろは結局、まだ自分自身の強い意志とか世界観を持っていない。
もしも両親が宗教にのめり込んでしまった時期、ちひろが家を出た姉のまーちゃんと同じくらいの年齢だったなら、まだ違った展開が見られたのかもしれません。
「自分」がはっきり確立する前に何かの世界の影響を強く受けすぎてしまうのは、やっぱり、とても怖いことです。
本書あとがきの対談の中で、著者の今村夏子さんは「ラストの展開ははじめはもっと不穏な終わり方だったので書き換えた」とおっしゃっていますが、私にはこの展開も十分「不穏」さが残っているように思えます。
まとめ
『星の子』は単なる宗教小説というわけではなく、ひとつの物語としても十分に楽しむことができます。
同じものを信じていても幸せになれる人とそうでない人がいる、ということを、小説という媒体で客観的に考えることができるのが、このお話の一番の面白さなのかもしれません。
また著者のデビュー作『こちらあみ子』も映画化が決まり、2022年7月より全国公開されています。
『星の子』ともに独特の魅力がたまりません ♪
それでは、今日はこのへんで。