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『卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記』彼女が今も生きていたら、どんな文章を届けてくれたのだろうか

南条あやさん。
彼女が今も生きていたら、と時々ふと考えてしまう。

つくづく不思議な魅力の宿る文章を書く方だったなぁと思います。

 

 

 

南条あやさんとは?

インターネット黎明期の1990年代末期に活動していた伝説のメンヘラネットアイドル。本名は鈴木純(読み:すずき じゅん)。

高校3年生の頃に、大学附属病院精神科の閉鎖病棟1998年7月末から10月頭までの2ヶ月間に渡って入院した。

 

高校の卒業式を終えて20日後の1999年3月30日正午ごろ、一人で下北沢のとあるカラオケボックスに入店し、その後3時間の間に向精神薬大量に服用昏睡状態で病院に搬送。
蘇生処置を受けたが、その後死亡した。様々な見解はあるが実質上「自殺」であることに相違はない。享年18歳。

 

亡くなってから20年が経った今でも、生前の彼女と同じような悩みや生きづらさ抱える人達に共感・支持されており、メンヘラ界隈ではそうした人達のカリスマ像として後世に語り継がれている。

 

引用元:南条あや (なんじょうあや)とは【ピクシブ百科事典】

 

 

私自身は世代がまったく違うので、彼女の活動をリアルタイムで見ていたというわけではないんですよね。
そもそも南条あやさんについて知ったのも、彼女が亡くなってすでに何年も経ったあとのことでした。

どんな人だったか、とか、どんな生い立ちでどんな子供時代で…とか、そういった細かな情報なら未だにネット上にあふれているけれど、それらが年々更新されていくことはもう二度とないのだと思うと、なんとも言えない気持ちになります。

彼女が活躍していた当時を知らないので、当然ながら熱烈なファンというわけでもないのですけどね。


それでもなぜか忘れられなくて、記憶の隅っこになんとな~く残った彼女の存在が年に何回かの頻度でふわっと蘇り、そのたびに残された彼女のブログ(※現在、検索ではもう出てきませんが、Wikipediaにリンクがあります)を読み返しては、こう思ってしまったりします。

「今生きていたら、どんな文章を届けてくれたんだろう?」

 

著書『卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記』

ここにいるのは、特別な女の子ではありません。もしかしたら自分だったかもしれない「もう一人のあなた」です。

渋谷、ゲーセン、援交、カラオケ――。青春を謳歌しているイマドキの女子高生かと思いきや、実は重度のリストカット症候群にしてクスリマニア。行間から溢れ出る孤独と憂鬱の叫びが、あなたの耳には届くでしょうか。

死に至る三ヶ月間の過激にポップなモノローグ。

引用元:Google Books

 

 

 

お察しの通り、ネットアイドルやってたJKの書いたものだからといって、決して明るく楽しい内容ではありません…。
むしろ暗い。とにかく暗い。得体のしれない暗闇にずるずる引きずられていきそうな内容です。

なのになんか明るい。なぜか明るい。暗いのに湿度はとことん低めで、からっと乾いた晴天のような読後感を味わえます。


私は「文才」というものには一種類ではなくいくつも種類があると思っていて、そのうちでも「暗いことをからっと軽く書く才能」に彼女は非常に恵まれているんじゃないかとひそかに思ったり。

 

ちょっと話がずれますが、中島らもさんのエッセイにも同じ力があると思う。

itono-tono.hatenablog.com

 

こういうエッセイは、本当にすごい。
ひたすら力をもらえるし、ただただ憧れます。

 

卒業式「まで」死にません

卒業式「まで」死にません。
このタイトルはまさしく現実のものとなってしまった。
しかも高校卒業からたった20日後に。

生前あれだけ大勢の人に愛されていた彼女ですし、当然多くのファンが「まさか本当に亡くなってしまうなんて」と驚き悲しんだことだろうと思います。

 

この日記のタイトルが「卒業したけど、生きていきます」だったらどんなに良かったか。

ネットに公開されていて、今も見られるぶんだけをみても、彼女はつくづく未来に夢なんかみていなかったんだろうなあとしみじみ感じます。


たぶん、だからこその文章の魅力というのもあるのかもしれません。
本当の絶望を知っている人は、同じような人の気持ちがイヤというほどわかるので、いわゆる「刺さる」文章というのをあっさり書けてしまう。
なぜならそれは、他ならぬ自分自身が求めている言葉だからです。

 

生きていてほしかったなぁ。と、しみじみ思いながらも、亡くなって長い年月を経てもネット上にも人の記憶にも色濃い存在感が残っている彼女はやはり「幸せ」だったのではないか、とも思います。


ご本人がこの世からいなくなってしまっても、遺った文章がのちの世の人に変わらず影響を与えつづけるというのはやっぱり素晴らしいことで、それはもう最大の「物書き冥利」に尽きるんじゃないでしょうか…

 

 

itono-tono.hatenablog.com

itono-tono.hatenablog.co

 


それでは、今日はこのへんで。