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伊坂幸太郎『重力ピエロ』感想 重力という名の常識は、本当に真実か?

今回は 伊坂幸太郎さんの名作『重力ピエロ』の感想をまとめました。


ミステリーというジャンルは、ちょっと独特なんですよね。
情緒的な部分よりは伏線やミスリードなどのいわゆる「引っ掛け」が重視されるところもあるためか、書き手によっては一見「文学」というより「脚本」に近い作品が多かったりする印象があります。

その点、ミステリーでありながら文学的な雰囲気もたっぷり楽しめるのが、伊坂幸太郎作品の大きな魅力だと思います。

 

 

 

 

 

『重力ピエロ』かんたんあらすじ

仙台の街で起こる連続放火事件。放火現場の近くには必ず奇妙なグラフィティアートが描かれていた。

過去に辛い記憶を抱える泉水の二人の兄弟は、事件に興味を持ち謎解きに乗り出す。グラフィティアートと遺伝子のルールの奇妙なリンク。

謎を解き明かしたとき、その先に見えてくるものとは。

 

引用元:ウィキペディア

 

 

 

上記あらすじを見ると一見、作品の主題は「謎解き」一点であると思われがちです。


まぁ間違っているとまでは言えませんが…
しかしこの作品を通して著者がもっとも主張したい最大のテーマは、奇想天外な謎とその結末などではなく、もっと別のところにあるのではないかと私は思います。

 

 

 

印象的なフレーズ「春が二階から落ちてきた」

春が二階から落ちてきた」。


この非常に印象的なフレーズは、作中で2回登場します。

一つ目は、物語の冒頭。
そして二つ目は、物語の締め、最後の一文です。

 

春というのは、主人公の男性である泉水の弟の名前です。
表向きは兄弟… ということで同じ家庭で育ち、助け合って生きてきましたが、この泉水と春は、実は半分しか血がつながっていません。


この二人は簡単に言えば「異父兄弟」ということになるのですが、そこにはもう一つ、この家族にとって「悲劇的な」出来事が隠れています。


それは、春は、二人の母親が「強姦されて」できた子供であるということ。


「春が二階から落ちてきた」。

このフレーズは、作中では文字通り「春が二階の屋根から飛び降りた」という描写にすぎませんが、実はそれ以上に何か大きな意味を含んでいるのではないでしょうか。


春は、両親に望まれて幸福に生まれてきた普通の子どもとは違います。


思いがけない悲劇によって否応なく生み出された、まさしく「降って湧いた」ような存在。


「人が空から落ちてくる」。

綺麗というか華麗なイメージと、危険で不安定な響きの両方を見事にそなえた、シンプルかつ大胆な表現ですよね。
個人的にはちょっとラピュタを連想してしまったりもしますが(笑)


この描写を物語の冒頭と締めという最も目立つところで繰り返し強調することによって、著者は春という人物の存在の不安定さを読者に印象付けたかったのではないでしょうか。

 

 

「目には目を」の解釈をあらためよう

上述した経緯により、春は生まれながらにして「被害者の息子」というレッテルを貼られて生きていくことになります。


そのためか、作中でも主に春の言葉で「被害者と加害者」について、あるいは「非暴力、不服従」という概念についてなど、罪や刑罰に関する考え方が多く述べられています。


その中でひとつ印象的だったのは、ハンムラビ法典の「目には目を」の解釈についての話でした。

 

多くの人はこのフレーズの意味を「やられたらやり返す」という、ザ・半沢直樹的な意味合いに捉えているけれど、実際の意味は「過剰報復の禁止」。


つまり、「目を傷つけられたら、仕返しは相手の目を潰すだけにしなさい」、「歯を折られたら歯を折るだけにしなさい」ということだそうで。


もちろんこれはこれで過激な発想ですし、完全に賛同はしかねますが…
しかし現在の日本の法制度を考えると、どちらかといえば被害者よりも加害者が強く守られている部分も多いように感じます。


この『重力ピエロ』作中でも、加害者がどこか別の地でのうのうと生きている一方で、強姦された被害者とその家族側のほうが周囲から白い目で見られていたりしますし、時には「なぜ生んだのか?」とストレートな言葉をぶつけられたりする場面さえあります。

 

誰を、誰から守るべきなのか。


とても難しい問題のように思えるけれど、作中ではその解答が春の言葉でストレートに語られているような場面も多く、あらためて色々考えさせられました。

 

父親が春にかけた言葉「おまえは俺に似て、嘘が下手だ」

作中で一番好きな台詞が、春と泉水の父親の言葉です。


おまえは俺に似て、嘘が下手だ」。


自分とは血が全く繋がっていない春に向かって、この台詞をさらっと言えるお父さんって…いや、最高じゃないでしょうか。

 

染色体であるとか、遺伝子であるとか、血のつながりであるとか、そういったものを、父は軽々と飛び越えてしまった。
父は、春と自分自身との連続性をあっけなく証明した。

(本文より)

 


この言葉に春自身も、そして兄である泉水も、本当に救われたのだと思います。

もちろん前後の流れもありきですが、やはり個人的にはこの場面が一番の見どころだったなあと思いますね。

 

『重力ピエロ』というタイトルは何をあらわしている?

ミステリー作品でありながら、大きなテーマは謎そのものとは違うところに存在する。

これがおそらく、本書が名作である最大の理由なんじゃないかなと思います。
その本質を最も的確にあらわしているのが、実は『重力ピエロ』というタイトルそのものなのではないでしょうか。


重力があるということは、当たり前のこと、いわば常識とか世論とかそういうものを示しています。
一方で、ピエロというのは私たちの日常の中に無いものであり、「現実」とはかけ離れた存在、もはや実体があるのかどうかさえ曖昧なふわふわした存在と言えますよね。



私たちが当たり前に信じているものは、本当にそこにあるのか?
本当に「真実」なのか?

 

提示されたものを、簡単に信じちゃいけない。
鵜呑みにしたらいけない。


『重力ピエロ』はれっきとしたミステリーですが、謎がどうこうよりも、こういうメッセージが文章の合間合間にひそかに込められている気がします。

 

単にミステリー好きな人はもちろん、純文学好きな人も存分に楽しめる希少な作品と言えるのではないでしょうか。

 

 

itono-tono.hatenablog.com

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それでは、今日はこのへんで。