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川上弘美『センセイの鞄』感想 「教師と教え子」の年の差恋愛をまっすぐ描いた物語 

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川上弘美さんの文章は基本的にシンプルなのに濃密な空気が伝わってくるような独特の雰囲気と勢いがあり、すごく好きなのでよく読んでいます。


今回は映画化、漫画化もされている人気作『センセイの鞄』を読んだ感想をまとめました。

 

 

 

 

センセイの鞄』かんたんあらすじ

センセイの鞄』(センセイのかばん)は、川上弘美恋愛小説。第37回2001年谷崎潤一郎賞受賞作品。

主人公・ツキコさんこと大町月子はいつも行きつけの居酒屋で、30歳離れた高校の恩師で古文の先生だった、センセイこと松本春綱に再会する。センセイの「ツキコさん、デートをいたしましょう」の一言から2人の恋愛が始まる。

引用元:Wikipedia

 

 

 

 

センセイの鞄』感想

センセイの鞄」では主にヒロインたる”私”と、彼女の学生時代の国語教師である”センセイ”との恋愛模様が描かれています。

そうなると本作はいわゆる恋愛小説ということになるわけですが、そうした作品にありがちなあからさまな甘い雰囲気は個人的にあまり感じられず、その一方で、ある程度歳を重ねた人間同士が新たな関係性を紡ごうとする際に特有のぎこちなさ、あるいは初々しさのようなものが作中で意識的に強調されているような印象がありました。


歳の差恋愛、あるいは歳の差婚というものを世間の人が比較的肯定的に受け入れているものなのか、それとも何だかんだで否定派も多いのか、実のところ私には未だに明確な判別がつきません。
現在、若者やマイノリティの人たちを中心に旧い価値観を正せという声も多く、それはつまり世間的に明らかに虐げられている人、虐げられてきた人への態度や待遇をあらためようという働きが時代とともに活発になってきたのだといえるでしょう。

もちろんそれ自体は正しいことで、しかし一方で、明確に虐げられているわけではないが、世間的にはっきり受け入れられているとは言えない、いわゆる潜在的な拒絶感や拒否感を肌で感じてひそかに苦しんでいるような人の曖昧な立場はいったい誰が、どのような形で救ってくれるのだろうかと、個人的には少々不安になりますし、疑問にも思います。

 

話が少し逸れましたが、この「センセイの鞄」のヒロイン ツキコさんは、どちらかと言えば後者の、いわゆる社会とか世間とかいった大きな存在からの漠然とした拒絶感を感じている人なのではないかと、個人的には感じました。

結婚適齢期をとうに過ぎていながら、結婚はしておらず、恋人もいない。かつて恋人であった男性にはあっさり別れを告げられて、その男性は結局彼女と仲の良い友人とゴールインしてしまった。

そういうあれこれを胸に抱えて、しかしツキコさん自身は少しも「悲しい」とは思っていない。行きつけの居酒屋で好きなものを食べて、好きな酒を呑んで、好きなように時間を使う。今さら、誰かと新たな関係を積極的に構築していきたいなどとはさらさら思っておらず、そんな中で”センセイ”と”再会”する。

 

このセンセイもまた曲者で、過去に別れてきた妻との記憶に執着がまるでないように見えて、なんだかんだと忘れられずにいる。
センセイとツキコさんとの間に存在する「弊害」は、明らかに「歳の差」そのものではなく、何か別のものなのだろうと私は思いました。
それはおそらく、歳の差というワードに対する世間の目、ひいては自身の中に潜む、人生経験を積む中で勝手に構築されてしまった歪んだ固定観念であり、あるいは新たな関係性に踏み出すときの単純な怖気であったり、相手に対する引け目であったり。

 

これらは多分、歳の差恋愛に限った話ではなくて、もっとあらゆる場に潜在している問題ではないのでしょうか。
自分の進む道や選ぶべき選択肢を、自分だけの意思ではなかなか選べない。必ず目には見えない世間の目というものがどこにでも絶えず存在していて、それを振り切って進もうとすると必ずと言っていいほど袋叩きに合う。自己責任論を振りかざす外野が、常に周囲を取り巻いている。スマートな処世のようなものばかりが常に評価され、求められる。

 

作中のツキコさん、そしてセンセイの関係性が一進一退を繰り返していた背景には、おそらくですがそんな味気ない世情の影響もあったのではないかと思います。
だからこそ、最終的にそこを「振り切った」二人の姿勢は清々しかったし、読み心地は総じて「爽やか」なものとなりました。

 

恋愛小説でありながら、本当に訴えたい部分はまるで別のところに潜在的に滞在している。そこがこの作品の一番の見どころではないかと私は思います。

 

 

 

それでは、今日はこのへんで。