今回は、中原中也の「春日狂想」という詩をご紹介します。
中原中也とはどんな人物?
明治から昭和にかけて活躍した詩人、歌人、翻訳家。
30歳という若さで亡くなったが、生涯で350編以上の詩を残した。
その一部は、彼の処女詩集『山羊の歌』および彼の死の翌年出版された『在りし日の歌』に収録されている。
代表作は『サーカス』や『汚れっちまった悲しみに…』など。
皆さんも国語の教科書などで一度は触れたことがあるのではないでしょうか。
『春日狂想』遺された人の想い
ではここで、『春日狂想』という詩の出だしの一部分をご紹介します。
愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業が深くて、
なおもながらうことともなったら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから。
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
(引用)
『愛するものが死んだ時には、もう、自殺するしかないのだ』。
この詩は、こんなふうに始まります。
個人的には、読み手の度肝を抜くこの出だしこそが最大の魅力と言ってもいいんじゃないかなという気がしますね。
この詩のなかで、「愛するもの」を喪った語り手は、「奉仕の気持になる」と誓ったものの、結局、特別なことは何もできません。
だからせめて、以前よりもていねいに本を読み、人には丁重に接し、
規則正しく散歩をし、知人に会ったらにっこりし、出会った人とは仲良しになり、鳩には豆をやり、友人と茶店に入りーー。
つまりは、どこまでも穏やかに過ごす。
<まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の うつくしさかな>
空に昇って、光って、消えてーー
(引用)
胸をうたれる。
空は晴れていて、空気はおだやかで、周りの誰もが忙しくしていて。
人一人ひとりにそれぞれの世界というものがある。
大切な誰かが亡くなっても、世界の美しさは変わらない。
幸せでありながら、同時にとても残酷な光景でもある。
この『春日狂想』は、中原中也が息子文也の死を悼んだ詩であると言われています。
大切な息子を喪い、その思いを詩に綴る。
そこに、どれほどの痛みがあったのか。
少し話がずれますが、私はこの詩を目にするといつも、Coccoの『Raining』という曲を思い出してしまいます。
Raining / Cocco
教室で誰かが笑ってた
それはとても腫れた日で
あなたがもういなくて そこには何も無くて
太陽まぶしかった
それはとても晴れた日で 泣くことさえできなくて
今日みたく雨ならきっと泣けてた (歌詞一部引用)
この歌では“教室で誰かが笑ってた”、”それはとても晴れた日で”の2フレーズが、何度も何度も繰り返されます。
この曲もまた、Coccoが敬愛する祖父の死を悼んだ歌であると言われています。
「あなたがもういなくて」も、周囲のみんなは笑っている。
世界の美しさは、何ら変わらない。
美しく、哀しい世界。目が離せなくなる。
ぼんやり聴いていると、精神を持っていかれる感じがありますね。
この歌が好きな人はおそらく、『春日狂想』をはじめとした、中也の『死』をうたった他の詩も好きなんじゃないかなと思います。
中原中也詩集『在りし日の歌』
詩集『在りし日の歌』の収録作品は、全体的に死をテーマにしたものが多いです。
中也自身が明言はしているわけではないものの、文也追悼の意が込められたものと一般には解釈されているようですね。
しかしその中でも『春日狂想』ほど明確に死というものを謡った作品は他にないように思います。
『春日狂想』は出だしの言葉のインパクトもあり、センセーショナルな作品と捉えられることも多いですが、私はむしろこの詩は絶望というよりは、静かな悲しみとその先にある希望を謡ったものなのではないかと思います。
中原中也の紡ぐ詩は、言葉の美しさの裏に哀しさが見え隠れしているからこそ魅力的であるという意見もありますが、
その合間合間には中原中也自身が悲しみを希望に昇華するような言葉や表現も多く見られます。
中原中也作品が時代を超えて多くの人の共感を呼ぶのは、彼の詩の中に絶望と希望が心地よいバランスで組み込まれているためではないでしょうか。
それでは、今日はこのへんで。