今回は、全世界から愛される殿堂入りファンタジー『星の王子さま』を語ります。
私が初めてこの本を読んだのは、まだ小学生の頃でした。
別にものすごく積極的に読みたかったからというわけでもなく、まあ、子どもならこういうのを読んどくべきかな? みたいな義務感から。
しかしながら、当時シャーロックホームズとかルパンとかコナンとか、いわゆる血みどろミステリーばかりを好んで読んでいた私には、この作品はとてもじゃないけど「清らか」すぎて、なかなか入り込めませんでしたね。
「星の王子さま」は、ジャンルとしては児童書のカテゴリーに入りますが、むしろ大人になってから読んだほうが心に響く作品ではないかなあと、個人的には思います。
「星の王子さま」はどんな作品?
作者はサン=テグジュペリ。
彼はフランスの作家であり、パイロットでもあります。「星の王子さま」は、サン=テグジュペリが死の直前に書いたもの。
200以上の国、地域の言語に翻訳されている本作は、なんと「聖書」「資本論」に 次いで全世界の人に広く読まれた大ベストセラーであり、またロングセラーでもあります。
『星の王子さま』かんたんあらすじ
操縦士の「ぼく」は、サハラ砂漠に不時着する。
手元には1週間分の水しかない。
周囲1000マイル以内には誰ひとりいない…。
こうした極限の状況におかれた「ぼく」は、翌日、ひとりの少年と出会う。
話をしているうちに、少年が「ある惑星からやって来た王子」であることを、「ぼく」は知る。
日々飛行機の修理にいそしみながらも、「ぼく」は王子からいろいろな不思議な話を聞く。
やがて、王子がまもなく、元いた小惑星に戻らなければならないことを「ぼく」は知るーー。
王子さまの最期
王子さまはまもなく、元いた場所に戻らなくてはならない。
それはつまり、王子さまの身体はこの地球上ではもう生きていられないということ。
ラスト、王子さまは毒蛇にその身を咬ませて「帰り」ます。
王子さまの最期は、作中でこんなふうに描写されています。
王子さまの足首のそばには、黄色い光が、キラッと光っただけでした。
王子さまは、ちょっとのあいだ身動きもしないでいました。
声ひとつ、たてませんでした。
そして、一本の木が倒れでもするように、しずかに倒れました。
音ひとつ、しませんでした。あたりが、砂だったものですから。(本文引用)
出版当時、まだ幼い王子さまが「死ぬ」という展開に、出版社はとても反対したそう。
しかし、サン=テグジュペリは断固としてこの展開を変えることはしませんでした。
幼い子どもが”死ぬ”ものがたり
意外にも、童話の中には、「幼い子ども」あるいは「罪のない人」が亡くなるというお話がたくさんあります。
たとえば、「マッチ売りの少女」とか「人魚姫」とか。
以前ご紹介した「赤いろうそくと人魚」も、死とはすこし違いますが、
人間の残酷さ非情さ、それによって罪のない者がどうしようもない傷を得る展開が、飾った表現でなくまっすぐに描かれています。
そういう物語には、力があるなあと思います。
読む人の心を揺り動かす、何かとてつもない力が。
世の中には、やさしくあたたかい物語だってたくさんあるのに不思議ですよね。
「死ぬ」ということは、完全な喪失とは違う。
なぜなら、「大切なものは、目には見えない」のだから。
今回あらためて「星の王子さま」を読み直してみましたが、やっぱり不思議な力に満ちたお話だなあ…というのが一番の感想です。
「ぼく」と王子さまの別れは、どうしたって悲しいものです。
「ぼく」が、王子さまの笑い声を聞けなくなることが、悲しい。
「ぼっちゃん、ぼく、あんたのあの笑い声が、もっとききたいんだ…」
「ぼっちゃん、ぼっちゃん、ぼく、その笑い声を聞くのがすきだ」(引用)
「ぼく」が王子さまの笑い声を聞くことは、砂漠の中で泉の水を見つけるのと同じことだった。
その声は、もう聞けない。
悲しい。悲しい。悲しいーー。
でもなぜか、そこには絶望とはまた違う、優しい光があるのです。
それでは、今日はこのへんで。