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宮沢賢治『土神ときつね』が面白い!三角関係の末の悲劇 童話と寓話の違いとは?

今回は宮沢賢治作品のうち、個人的にすごく好きな掌編を考察します。

 

 

 

宮沢賢治作品について

童話と寓話

宮沢賢治作品は、大きく分けると「童話」と「寓話」のふたつになります。

※寓話:比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって諭すことを意図した物語のこと。


しかしそもそも、童話と寓話との区別というのはなかなか難しいものだったりします。

両者の最大のちがいは「対象年齢」であるといわれていますが、(童話は子ども向け、寓話は大人をも対象としている)

絵本や児童書も大好きな私個人としては、いわゆる「大人に向けた」童話というのも、世の中にはたくさんあるのではと思っています。


区別が難しいという点で、ことに宮沢賢治作品の場合は、その傾向が顕著になります。

なぜなら、宮沢賢治作品は、童話か、寓話かにかかわらず、動物が主体となる物語が大半だからです。
つまり、「寓話的要素の強い童話」、あるいは「童話としても読める寓話」がほとんどなのですね。


当記事でご紹介する「土神ときつね」は、まさしくその代表格。

登場人物は、土神、きつね、かばの木の三者のみです。

神さま、動物、植物がそれぞれ擬人化されているこのお話は、ジャンルとしては「寓話」になるのでしょうが、
単純に「お話」「ものがたり」として楽しむこともできます。

 

「土神ときつね」は、どんなお話?

かばの木(上品な女性…といった雰囲気。口調とか態度に非常なしっとり感があります)には、
きつね、そして土神という、ふたりの友人がいる。
(この二人は男性だと思われます。かばの木に気があるっぽい態度。)


きつねと土神は、しょっちゅうかばの木を訪ねてくる。
かばの木は、どちらかといえば、きつねのほうに好意をもっている。
なぜなら土神は気性が荒くらんぼう者だが、きつねのほうはいつでも上品で落ち着いた物腰であるから。

 

しかし、これは読者にしかわからないことではありますが、
このきつねというのがかなりの見栄っ張りなんです。
虚言癖というのはこういうことなんでしょうか、とにもかくにもかばの木に自分をよく見せよう、よく見せようとするあまりに、ついつい大きな口をきいてしまいます。


注文してもいない高価な望遠鏡を、もうすぐ届くからあなたに見せてあげましょう、とか言ってしまったり、ありもしない書斎や研究室を自慢したりしてしまったり。


一方で土神のほうは、神さまでありながらお世辞にも品のあるとはいえない態度や行動、思考をしていますが、それでも、きつねのように見栄から嘘をつくようなことは、一切ありません。


彼はひたすら「正直」で、そのため、きつねがかばの木に語っている自慢話の数々を、すべて真に受けてしまいます。


きつねのことが気に入らず、つねにイライラ、むしゃくしゃして、
かばの木にあたったり、偶然出会った人間をいじめたりしてしまうのです。

 

 

 

どんな世界であれ、三角関係は不幸の源

結論からいうと、土神はある日、またもかばの木を訪れていたきつねがどうしても気に食わず、あとを追いかけ、追いかけ、ついにはきつねの巣穴の前でその首を絞めてころしてしまいます。


そして勢いできつねの穴のなかに飛び込むが、なかにはただ赤土があるばかり。
きつねがかばの木に語っていた望遠鏡やら本やら何やらは、影も形も見当たらないーー。

死んだきつねのそばで大声で泣き出す土神。

 

言っていいのかわかりませんが、これ、やっていることはいわゆるお昼のメロドラマとか2時間ドラマなんかとほとんど同じなんですよね。


登場人物全員が、エゴイストの塊とかいうやつで、自分に見えていることだけを唯一の真実と解釈して、苦悩している。
あらゆる思い込みや誤解、曲解の数々がこじれにこじれて、最悪の結果を生んでしまう。

いや、なにも殺さなくても…。直接何をされたわけでもないじゃん。
とか傍から見れば思うけど、土神のほうには、確固たる信念とかきつねに対する羨望の念とか、その他積もり積もったあれこれとか、とにかく彼にとっての正義があるわけで…。

こういう部分がすごく「現実」に通じていて面白いな~と思います。



一応は「児童書」でありながら「殺しの動機が嫉妬」というところも痺れますね。



あと、ふつうにかばの木が気の毒でならない。

 

おわりに

読み方をちょっと変えるだけで、あらゆる解釈が可能になる、というのが、宮沢賢治作品の最大の魅力であると私は思っています。

おとなも子どもも同様に楽しめるというのは、まさに優れた作品の証といえるでしょう。

皆さまもぜひ、読んでみてくださいね。

 

 

 

 

 

それでは、今日はこのへんで。