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ルシア・ベルリン著『掃除婦のための手引き書』が面白い!リアルな痛みを孕んだ物語

この小説、書評欄とかでよく見るのでずっと気になっていまして…

タイトルからなんとなく「清掃員のためのノウハウ本」的な内容なのか…?などと早合点していたのですが、いやはや…全く違いました。

先入観って怖いね!

 

 

 

著者ルシア・ベルリンはどんな人?

1936年アラスカ生まれ。

3回の結婚と離婚を経て4人の息子をシングルマザーとして育てながら、学校教師、掃除婦、電話交換手、看護助手などさまざまな職について生計をたてていた。

一方で、若いうちからアルコール依存症に苦しんでいた。
彼女のみならず、祖父、母、叔父も皆、アルコール依存症であった。

また生前は一部にしかその名を知られていなかった。

 

ルシア・ベルリン作品の特徴と面白さ

ルシア・ベルリン作品の最も大きな特徴は、すべてが著者本人の実体験に根付いている、という点です。

上記の簡単なプロフィールからもわかる通り、著者は一般的な人の人生の何回ぶんにも相当するような、並外れた経験を多くしてきています。

あらゆる場所に移り住み、複数の人と結婚をし、離婚をし、あらゆる職業に就いて…

『掃除婦のための手引き書』は短編集であり、そのうちにはごく短い掌編もいくつもありますが、そのどれもがルシア・ベルリン本人が壮絶な体験をくぐってきた中で肌で感じたことをベースに書かれているのです。

苦難の多かった子供時代や、幼少期の性的虐待

依存症とのたたかい、苦しみ。困難な病気。痛み。

厄介な仕事や、友人の裏切り。恋人との別れ、死別。  などなど…

 

こうして言葉にしてみると思わずうっ…!と疑似的な痛みを覚えてしまうくらい、なかなかにハードモードな人生経験の数々ですが、
不思議なことに、小説としてちょっと客観的に読んだときは、なぜか痛みとはむしろ真逆の感情、読後感を感じられてしまうのです。

 

本書あとがきに

ルシア・ベルリンの小説はサプライズに満ちている。
思いもよらない言い回しや思考、事態の展開、ユーモアの連続だ。

との講評がありますが、まさにその通りだなあと思います。

 

悲劇を、悲劇として描いていない。

人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である、とか言いますが、ルシア・ベルリンの小説はまさしくそれを体現しているように思います。

 

 

表題作『掃除婦のための手引き書』あらすじと感想

主人公は、掃除婦として働いている女性。

あらゆる家の清掃を請け負う日々の中、無意識化ではずっと過去のこと…もうこの世にはいない恋人のことだけを考えている。自分も今すぐ恋人のいる場所にいきたいとばかり考えている。

そのときのために、清掃を請け負う家々で依頼人の睡眠剤をしょっちゅうくすねている。

わたしは睡眠薬をためこんでいる。前にターと取り決めをした…もしも1976年になってもにっちもさっちもいかなかったら、波止場の端まで行ってお互いをピストルで撃とう。


でも、ター(恋人)は、もういないんですよね…

 

個人的にもっとも注目したい点は、作中で主人公が恋人に対する愛情をあらわした表現です。

 

ターはバークレーのゴミ捨て場に似ていた。


ここですね。
ゴミ捨て場に似ていた」。

誰より好きだった相手をゴミ捨て場に例えるなんて、普通の感性ではとてもじゃないけど思いつかないと思うのです。


翻訳ものには、海外ならではの独特の表現といいますか、日本文学ではなかなか見られないようなダイナミックな形容とか比喩隠喩がよくありますが、
ここは今まで読んだ翻訳作品のうち、個人的にもっとも度肝を抜かれた描写だったなという気がします。

ルシア・ベルリン作品は、悲しさも痛みも寂しさも、どこかからっと明るい響きとか雰囲気とともに表現されている。


生前は十分な評価を受けていなかった彼女の存在が、死後10年という時を経てやっと「発掘」されたのは、作風が時代に追いついたというよりむしろ、時代がようやく彼女に追いついたからなのかもしれないなぁと思います。

追って発売された作品集第2弾『すべての月、すべての年』のほうも早く読破したい今日この頃。

 

 

 

itono-tono.hatenablog.com

 

 

それでは、今日はこのへんで。