「西の魔女が死んだ」。
あらためて見てみると、なかなかにインパクトのあるタイトルだなあという気がしますね。
この作品は映画化もされているので、ストーリー自体は比較的有名なんじゃないかなと思います。
しかし物語の受け取り方は、実は人によってかなり違ってくるのではないでしょうか。もちろんどんな作品にも言えることですが…
今回は『西の魔女が死んだ』原作小説の、自分なりの解釈をまとめました。
『西の魔女が死んだ』概要・あらすじ
主人公のまいが、自らを魔女と呼ぶおばあちゃんと過ごしていた頃を回想する形で物語は進む。
まいは傷つきやすい少女として描かれ、現代社会に対しておばあちゃんが暮らす自然にあふれた生活が対照的に描かれる。また同時に一つの重要なテーマとして、人の死というものを含んでいる。
注意として、この作品に登場する魔女が使う魔法とは、ファンタジーの世界のようなものではなく、ちょっと不思議なことが分かる程度のものである。
現実に魔女と呼ばれた人達のように、物語中でもこの力により迫害を受けたような描写もある。
引用元:Wikipedia
タイトルにもある「西の魔女」とは、主人公の女の子 まいの祖母にあたる女性のことです。
とにかく不思議な魅力があるんですよね~このおばあちゃん。
「魔女って本当にいたの?」
孫であるまいからこの質問をされて、「ええ、本当にいたんですよ」と即答することができる。
その解答を裏付けるだけの明確な理論を、ちゃんと持っている。
それはそのはず、おばあちゃんにとって魔女とか魔法とかいう概念はとても身近なものなので、無駄にとりつくろったり、取ってつけたような説明をあわてて考えたりする必要は全くないのです。
『西の魔女が死んだ』物語の重要ポイント3点
『西の魔女が死んだ』はいろいろな読み方ができるお話だと思いますが、特に重要なポイントは以下の3点ではないかと私は思います。
①主人公まいの回復と成長
物語の大きなテーマとして、まいという女の子の回復、そしてそれに続く彼女の成長というものがあります。
不登校になって、そのまま「静養」という形でまいがおばあちゃんのいる田舎に身を寄せる…というところが物語の導入ですからね。
中学生になりたての、一番多感な時期のことです。
まいが自然とおばあちゃんの愛情に守られて回復していく一方で、回復や成長に相反する概念、すなわち「死」というテーマもまた、この物語の根幹にあります。
回復や成長の物語、あるいは死をテーマにした物語は世の中にたくさんありますが、この2つが同時にひとつのストーリーに収まっていて、しかも別個のものとしてではなく、連立した概念として丁寧に描き抜かれている。
ここが、本書が名作である理由のひとつであると言えるのではないでしょうか。
②嫌な隣人ゲンジさん
個人的にすごく気になるのが、おばあちゃんの家の隣に住んでいるゲンジさんという男性の存在です。
とにかく「嫌な感じのする」人なんですよね~この男性。
特に多感な年齢のまいにとっては、もはや「生理的に無理」というようなレベルだったりします。
作中で、まいは事あるごとにこの男性のことでおばあちゃんに反発したり、反抗したりします。
それに対し、おばあちゃんは徹底的にゲンジさんのことを擁護し、彼をただ否定しようとするまいを非難し、諫めます。
もちろん大人として「人のことを悪く言ってはいけない」という良識のもとに、という解釈もできますが、ここではおそらくそれ以上に、おばあちゃんにとって「まいに彼の存在を認めさせる」というのは大切なことだったのではないでしょうか。
それはきっと他でもない、「魔女修行」のため…
まいの「修行」の最初の妨げとなる存在がひとりの男性である、という部分には、見方によってはすごくメッセージ性が感じられて面白いなあと思いますね。
③魔女は本当に存在するのか?
作中で絶えず語られ続ける「魔女修行」ですが、ここにはファンタジックな意味合いは全くありません。
自分の意思をまっすぐに貫く、目的を見失わず生きる、感情を必要以上に揺らさず、自分を保ち続けるといった意味のことです。
変わりたいけど変われない、という葛藤を描いた作品は多いですが、それをあえて魔女や魔法といった抽象的な概念を利用して描いているのがすごく面白いですし、それがこの作品全体にただようどこかミステリアスな雰囲気につながっているのかなという気がします。
まいにとって「魔女になる」というのは他ならぬ自分との闘いであり、一方で「謎解き」でもあるんですよね。生きていくための。
おばあちゃんはちゃんとヒントはくれるけど、明確な解答は示してくれません。
あえて外側から遠く見守っている感じが、個人的にはすごく愛情が感じられていいなあと思いますね。
短編『渡りの一日』しあわせに生きるためのヒントはどこにある?
まいは結局、本物の魔女にはなれたのでしょうか。
その答えを示す箇所は作中のいたるところに散らばっているという気もしますが、私は、その一番明確な答えは『西の魔女が死んだ』の続編にあたる短編『渡りの一日』の中に凝縮されているのではないかと思います。
『渡りの一日』では、転校し新たなに通いはじめたまいの「その後」が描かれています。
ここでのまいは、すでに本編のまいとはちょっと違うんですよね。
自分の意思は絶対に曲げない、という意思を常に強く持っていて、それが彼女自身の強固な鎧にも、また武器にもなっています。
まいの同級生ショウコもそれを敏感に感じ取っていて、だからこそあえてまいを試すような真似をしたり、反応をうかがったりもします。
これに対するまいが、もう本当に強いんですよね。
自分は自分だ、前のまいにはなかった意識がすでにしっかりあって、だから感情がほとんど揺らがない。
すでに「魔女修行」の最初のターンは終えたんだなという感じがあります。
この作品内では、「魔女になる=しあわせに生きる、自分らしく生きる」ということなんですね。
前述しましたが、そこをあえて極端なほど抽象的に描いているところが、この作品の一番の魅力なのではないかと個人的には思います。
それでは、今日はこのへんで。