ずっと気になっていた映画『KOTOKO』を、先日ようやく観ることができました。
主演のCoccoのファンだから観たけれど、そうじゃなかったら観なかったかもしれない。
主演が歌手の方の場合、魅せ方がなんとなくプロモーションビデオっぽくなってしまう作品もわりと多い気がしますが、この映画はそれ以上にストーリー性が深く思わず見入ってしまいました。
今回はCoccoファンとしてではなく、あくまで一本の映画を観た感想として、自分なりの所感を書いていきたいと思います。
『KOTOKO』かんたんあらすじ
幼い息子、大二郎を育てる琴子は世界が二つに見えてしまうという現象に悩まされている。息子を守りたい気持ちが高まれば高まるほど、強迫観念に襲われ恐怖の世界に迷い込んでしまう。
そしてある日、琴子は周囲から息子を虐待しているのではないかと疑われ、沖縄に暮らす姉に大二郎を預ける事になる。愛する息子と離れ離れになってしまった琴子。
あるとき、琴子の歌声を聴いた小説家の田中という男が声を掛け、2人は心を通わせ一緒に生活を始めるが…
これ、カテゴリーとしては「ホラー」に位置付けられているんですね…?
たしかに若干グロテスクな描写も結構あるから血のダメな人にはおすすめしないけど、単に怖いのが駄目だから、という理由で見るのをやめる人がいたとしたらもったいないなあと思います。
すごかった。「生きろ、生きろ、生きろ。」というキャッチコピーがものすごく芯をついていると感じました。
あと、主演のCoccoはあくまで俳優ではなく歌手だから、おそらく劇中でもミュージカルとは言わないまでもまあまあ歌のシーンが多いんだろうなあ、とは事前に予想していたけれど、そうでもなかったです。
歌うシーンはあるけれども、それはあくまで作中の設定や主人公 琴子のキャラクターや心情に寄り添っている感じで、不自然さは全然なかった。
作品の根底には「母と子の愛」という大きなテーマはありますが、その周辺に散りばめられた細かなメッセージみたいなもののほうが、個人的には強烈でした。
極端なことを言えば、この映画は「母と子」ではなくても、もしかしたら子供じゃなく犬や猫など小動物に対する愛情だとしても、充分成立するんじゃないだろうかとさえ思います。
究極のレベルまで突き抜けた愛情は、恐ろしい。でも、美しさもある。
それを全身で表現し、あくまで歌手ではなく一人の役者としてやりぬいたCoccoの姿勢が、やはりこの作品の一番の見どころではないでしょうか。
『KOTOKO』の見どころ3点
作中にはわりに抽象的な描き方や魅せ方が多く、見方によっては現実か妄想か、どちらにもとれるようなシーンもかなりあります。
ここでは、個人的に気になったシーンや展開を3点掘り下げていきます。
①世界が2つに見える琴子
主人公の女性琴子は、日常的に世界が2つに見えています。「世界」と言ってしまうと抽象的だけれど、二重に見えてしまうのは主に「他人」です。
すれ違う人も、ちょっと離れたところにいる人も、時には自分の息子さえも。
とにかく誰もが「2人いるように」見えていて、しかもそのうち一人は穏やかな、あるいはにこやかな表情で、もう一人は怒りの表情を浮かべていることが多いのです。
後者の人物がつかみかかってきたり、殴りかかってきたりするような「幻想」により、琴子は常に気が休まりません。
時にはものすごく人に迷惑をかけてしまったり、場合によっては反撃してしまい、暴力事件を起こしてしまったりもします。
この部分は、単に琴子自身の精神の不安定さを暗示しているものなのか、それとも琴子に何らかの精神疾患がある、というような描写なのか、作中では最後まではっきりとは明かされていません。
とにかく常に不安定で、ついには息子と暮らすことさえできなくなってしまった琴子の前にあるときふいに現れたのが、田中という一人の男性でした。
②田中という男の存在
田中を演じているのは、当作の監督である塚本晋也さんご自身です。いや、この田中という人物が、とにかくすごかった。
彼は偶然 琴子の歌声を聴いたときからずっと彼女が気になって気になって、ずっと後をつけていた…という、言わばストーカー的な存在ではあったのですが、それでも彼なりに、琴子を愛して、彼女に寄り添っていこうと努めます。
自分で自分の手首や腕をめちゃくちゃに切って、田中にも激しく暴力をふるうようになった琴子から全く目を背けず、お互い血まみれになりながらも、ただ「大丈夫だ」と言い続ける姿が素晴らしかった。
それだけ琴子を想っているという描写でもあるのかもしれませんが、個人的には、田中の琴子に対する想いは男女間の愛情ばかりではなかったのではないか、と思います。
田中は多分、琴子の中にある「母性」に惹かれていたのではないでしょうか。彼女の歌声を聴いたときからずっと。
作中で琴子を演じるCoccoが田中を前にして歌うシーンは、本当に素晴らしかった。
場面としては、粗末なアパートの一室での出来事に過ぎないのに、とてもそうは思えないシーンでした。
Coccoの野外コンサートの映像を思い出した。あれをマンツーマンで見せられたら、それはもう惚れるよ…
やがて琴子の目に映る世界は「一つに」なり、彼女は再び息子と暮らすことを許されます。
それと同時に、田中はふっと姿を消します。前触れもなく、まるで元からいなかったように、彼は忽然と「居なく」なります。
ここの解釈も、おそらく人それぞれなのだろうなあと思います。
普通に考えたら、琴子の存在が重くなった、あるいは暴力を受けつづける生活に耐えられなくなったというところなのだと思いますが、作中では本当に明確な理由を示すような描写は何ひとつありません。
もしかしたら、田中という男性など始めから存在すらしなかったのではないか、彼は琴子の精神世界の中だけに棲む人物だったのではないか。
そういう見方さえできてしまうのも、たぶんこの作品の面白さの一つなのだろうなあと思います。
③ラスト、琴子を訪ねてくる息子
田中を失い、再び息子と二人きりになった琴子の目に、世界はまたしても「2つに」分離するようになります。
激しい混乱が続いた末、琴子はついに眠る息子の首に手をかけてしまいます。
自分のいないところで、息子が誰かに傷つけられるのは耐えられない。
それならば、いっそ自分の手で…
琴子の中ではきちんと筋が通っているのが何とも切ない。
その後、きわめて抽象的な場面展開の末、琴子は真っ白な病室(おそらく精神病棟?)の中で日々を過ごしています。
あるときそこに「息子」が訪ねてきます。
生きていたの?と疑問を抱きながら息子に対面する琴子。
ここのシーン、個人的には一番好きでした。
息子は外見からするとおそらくは中学生くらいの姿で、琴子に向かってすごく穏やかに話しかけます。
赤ちゃんだったころに琴子が遊んであげたのと同じような仕草をしたり、自分の日常について話したり。
どんな形であれ琴子を「母親である」と認めているのが伝わりました。
映画『KOTOKO』をおすすめしたい人
私は主演のCoccoが大好きなのでこの映画を観たし、観たあとも全く後悔はしていないけれど、客観的にみるとこの映画は決して万人受けはしないのではないかと思います。
グロテスクなシーンがあるから、というような端的な理由もありますが、それ以上に、単に琴子のことを理解できない人も多いのではないかと思うからです。
守りたい愛したいと言いながら、結果的に他人を傷つけ、自分自身をも傷つける。
そういう描写が多くて、人によってはそこに明確に存在する「矛盾」に耐えられないのではないか、琴子に反感すら覚えてしまうのではないか…と感じました。
琴子の感覚がほんの少しでもわかるか、それとも、一ミリも想像すらできないか。
後者の人にとってはおそらくこの作品は「気持ち悪い」ものでしかないんじゃないでしょうか。
一方で前者の人は、この作品を見ているあいだはひたすら苦しさを感じてしまったりもするかもしれません。
それでも観たあとはやっぱり、琴子の歌声に「救われた」と思えるかもしれない。
本当の痛みを知っていて、それに向き合う覚悟のある人にはとことんおすすめしたい一作です。
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