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【衝撃作】東野圭吾『赤い指』感想(ネタバレあり)加害者 直巳の台詞「親が悪いんだ」の意味を考える

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東野圭吾の代表作の一つ『赤い指』は、著者が直木賞受賞後にはじめて発表した長編小説です。

人気ドラマ「新参者」のスペシャル版としてドラマ化もされているので、原作は読んでいないけど大方のストーリーは知っているという人も多いでしょう。


この作品は話の内容、展開、そしてラストどの要素をとっても衝撃的で、表立って好きだとは言えないけれど、でもやっぱりくり返し読んでしまうという人も実は多いのではないでしょうか。

 

今回は加害者である直巳のラストの台詞「親が悪いんだ」に着目しつつ、私なりの感想をまとめてみました。
※多少のネタバレを含みますので、未読の方はご注意ください。

 

 

 

 

 

東野圭吾『赤い指』内容とあらすじ

前原昭夫は、妻と一人息子、そして母親と一緒に暮らしているごく普通の家庭を持っているサラリーマンそれぞれから問題を与える「家庭」は昭夫にとって安らぎを与えてくれる場所とは言い難い存在になっていた。


そんな家族の元に少しでも戻りたくないとオフィスにいた昭夫は、八重子から「早く帰って来て欲しい」と電話が入る。切迫した様子を訝しみ、家路に急いだ昭夫は、自宅の庭でビニール袋を掛けられた幼女の遺体を目撃してしまう。


全ては直巳が少女を自宅に連れ、身勝手な理由により殺害したものだった。一時は
警察に通報しようとした昭夫だが、八重子に強く懇願され、やむなく息子のために事件の隠蔽を画策する。遺体を自宅から遠ざけるため、深夜に住宅地近くの銀杏公園に少女の遺体を遺棄するのだった。

引用元:赤い指 - Wikipedia

 

 

加害者の親 前原照夫について

子供可愛さのあまり、つい誤った判断をしてしまう親、間違った選択をしてしまう親というのは世の中に案外多いのかもしれないと思いますが、本作の主人公である前原昭夫の場合は、それとは少し違うのではないかと個人的には思います。

 

息子を守りたい、の一点であれば、全ての罪を自分一人で被れば良かった。
でも、それはしなかった。それをせずに、結局は一番卑劣な選択をしてしまった。
息子のため、妻のためと言いながら、結局は自己保身の姿勢が一番強かったような気がします。



ラストの展開を考えると、本当に胸が痛い。
息子の罪を、実の母に背負わせる。「認知症」だから分からない、だから問題はない、と心のどこかで思っていたはず。


人の本性は追い詰められたときにこそ出ると言いますが、あんな選択ができたのはやはり、昭夫が事件のずっと以前から「家族」というものから目をそらし続けてきたからと言えるのではないでしょうか。

 

 

加害者 直巳の台詞「親が悪いんだ」

私が本書を初めて読んだのは中学生くらいのときで、当時はこの台詞の意味が正直よく分かっていなかったように思います。


親が悪いんだ」。
こういう台詞は、例えば犯罪者の親を持つ人が何か問題を起こしたという場合などに、周囲の人が陰口のように口にするというようなイメージがあったのです。


しかし作中でこの台詞が出てくるのは物語のラスト、加害者である直巳が警察の「なぜ被害者の首を絞めたのか」という問いに対する解答として、あるいは一種の問題提起として、読者の前にいくぶん唐突に投げかけられます。

「親が悪い」。
罪のない少女の命を奪った少年の台詞として、この言葉はあまりに無責任であるというばかりでなく、どこか「場にそぐわない」ような違和感さえ覚えました。

 

「親の責任」はいったいどこまで?

親の気持ちなんて人の親にならなければ絶対にわからないと言いますし、それはおそらく正しいでしょう。

しかし本作を読んで、いや、むしろ親だからこそ見えないもののほうが実は多いのではないか…という疑念が生まれました。

 

親だから、息子の明らかなあやまちを「なかったことに」しようとする。その場をやり過ごせさえすれば、それで万事解決すると思っている。

こういった「責任」とは真逆の思想に基づいた行動からは、良い結果は絶対に生まれません。

責任をとれだの自己責任だのは日常に飛び交っている言葉ですが、私たちが思う以上に実は難しいことなのかもしれないなと思います。

 

 

 

東野圭吾作品の魅力

ミステリー作品というのは、大概は作中に溢れる謎に対する解答がラストにはっきりと提示されるものです。
その爽快感がたまらないというミステリーファンも多いのではないでしょうか。


しかし東野圭吾作品における「謎」は、作中で完璧に解決されるということはあまりありません。
もちろん「事件の真相」という形で明らかになる部分はありますが、物語の一番奥に潜んでいる芯の部分はあくまで「謎」「問題」として残されます。

 

『赤い指』における一番大きなテーマかつ問題はやはり「家族」と言えるでしょう。

家族だからこそ見えるものがあり、見えないものもある。


ミステリーの枠をはるかに超えた、読みごたえのある作品でした。

 

 

itono-tono.hatenablog.com

 

 

 

 

それでは、今日はこのへんで。