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鬱映画『ミスト』の衝撃ラストシーンを考える 原作小説との違いは?ラストの改変はなぜ?

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映画『ミスト』(スティーヴン・キング原作 フランク・ダラボン監督)は、いわゆる鬱映画と呼ばれるバッドエンド作品を語る上では絶対に外せないと言われており、特にラストシーンに関しては未だにあらゆる場で議論がなされています。

 

とにかく衝撃のラストで、観たあと「あぁ、良い映画だったな」とは言い難い終わり方ではあるのですが、私はむしろあの終わりには妙なリアリティがあって悪くないのでは…と思っています。
(あの展開でハッピーエンドだったらむしろ嘘くさいというか…「うわ~「映画」だな~」と感じる気がしてならない)

 

しかしあのラストシーン、実は原作の小説とは少し違うのですよね。

というわけで、今回は『ミスト』のラストシーンについてあらためて映画と原作とを比べてみたいと思います。
※ネタバレありなのでご注意ください。

 

 

 

 

 

映画『ミスト』かんたんあらすじ

激しい嵐が町を襲った翌朝、湖のほとりに住むデヴィッド・ドレイトンとその妻のステファニーは自宅の窓やボート小屋が壊れているのを見つける。


デヴィッドは買い出しのため、8歳の息子のビリーと隣人のブレント・ノートンと共に車で地元のスーパーマーケットへ向かった。店は客たちで賑わっていたが冷蔵庫以外は停電していた。デヴィッドたちが買い物をしていると、店外ではパトカーや救急車が走り回りサイレンが鳴り始めた。その直後、鼻血を流したダン・ミラーが店内へ逃げ込み「霧の中に何かがいる」と叫ぶ。


店内の一同が戸惑うなか店外の辺り一面は白い霧に包まれていく。不安に駆られた客たちは店内へ閉じこもった。
夜になると、店内の光に惹き寄せられて巨大な羽虫や翼竜のような怪物が窓を破り店内に侵入し、デヴィッドたちは辛くもこれを撃退するが店内で犠牲者が出てしまう。

引用元:ミスト (映画) - Wikipedia

 

 

映画『ミスト』はスティーヴン・キングの中編小説「霧」をもとに製作されており、カテゴリーとしては「SFホラー」に位置付けられています。


たしかにホラーの要素もあるにはあるのですが…
不特定多数の人がばたばた死んでいく描写も多いですし、個人的には「パニック映画」と呼ぶほうがなんとなくしっくりきますね。


あと、グロテスクな映像描写も結構あるので、ストーリー展開、映像ともに苦手な人は苦手と言えるかもしれません。

 

『ミスト』ラストシーンについて

さっそくですが話題のラストシーンについて、まずは映画と原作の違いを比べてみたいと思います。

 

映画版のラストは「心中」

主人公デヴィットと彼の息子、そして仲間3人は自動車で脱出を図るも、追い詰められついに死を覚悟する。

だが、残りの弾丸は4発のみ…
デヴィットは覚悟を決め、自分以外の4人を射殺する。

「自分は怪物に襲われて死ぬのだーー」
そんなデヴィットの前にあらわれたのは、救助の兵隊たちの姿、そして生存者たちを乗せたトラックだった。

 

あと少し判断が遅ければーー。
霧が晴れていく中、1人むせび泣くデヴィットの絶望の叫びとともに物語は幕を閉じる。

 

原作小説のラストは「希望」

主人公デヴィットと彼の息子、そして仲間3人は自動車で脱出を図る。(ここは映画と同じです)

とはいえ行くあてもない。一夜を車中で過ごし途方に暮れていると、やがてカーラジオからノイズの混じった音声が聞こえてくる。

聞こえたのはどこかの地名、そして「Hope(希望)」という言葉。


そこへ行けば助かるかもしれない。
わずかな希望を示唆する形で、物語は幕を閉じる。

 

 

フランク・ダラボン監督はなぜラストシーンを変えたのか?

原作小説のラストにはわずかながらの希望が見えますが、映画版のほうは(主人公にとって)全く救いのない展開で物語は幕を閉じます。

フランク・ダラボン監督は、このような改変をした理由として「観客に問いを残そうとした」と語っています。


たしかに1つの作品を構築する上では、必ずある種の問題提起が必要と言えます。
特に映画『ミスト』においては、ストーリーが進めば進むほど観客側が「主人公の選択の必然性」を考えさせられるつくりになっていると言えるのではないでしょうか。

 

たとえば、もし「残っていた弾丸が4発ではなく5発だったら」。あるいは、「そもそも脱出の際に銃を持っていなかったら」…、「スーパー内で起きた乱闘の際に弾丸をを使いはたしていたら」…。


タラればを考えれば、キリがありませんね。
結果には必ず原因があり、その原因となる事項もまた、単独のものではない。
あのラストシーンに至るまでの全ての出来事が確実に「繋がって」いて、しかし主人公にはそれは分からない。
あくまで私たちが観客側で、客観的な目で見ているからこそ見えるに過ぎないわけで。


もし『ミスト』のラストが、脱出して助かるというハッピーエンドであれば、それは完全に主人公のご都合主義的な展開であり、『ミスト』は単なるヒーロー映画のようになってしまいます。


私は原作小説『霧』の穏やかな感じの終わり方も好きですが、もし映画のラストが原作と同じであれば、おそらくこれだけたくさんの議論がなされることもなかったでしょう。


ちなみにラストの改変について、原作者スティーヴン・キングは絶賛したそう。

鬱映画の代表格とも言われる『ミスト』ですが、映画としての面白さの理由は明確な「リアル」を描いているからという1点に尽きるのかもしれません。


 

 

 

 

 

それでは、今日はこのへんで。