BSプレミアムで放送されていた『バグダッド・カフェ』を観て、久々に映画にずっぷりハマる経験ができたので感想を書いてみました。
面白い!というよりはひたすらハートフルな作品ですね。観る人の状況や心境によって見え方は変わってくるだろうし、いくらでも深い見方ができる映画でもある。大きな出来事は何一つ起こらないので、小難しいことを考えずにぽ~と見るのにも適しているように思います。
作品情報
アメリカ合衆国の砂漠地帯にあるダイナー兼ガソリンスタンド兼モーテル「バグダッド・カフェ」に集う人々と、そこに現れたドイツ人旅行者の女性の交流を描いた、大人のためのファンタジーの趣がある作品。
ジェヴェッタ・スティールが歌うテーマ曲「コーリング・ユー」は、第61回アカデミー賞歌曲賞にノミネートされたほか、映画公開後も多数の歌手によりカバーされるヒット曲となった。
引用元:Wikipedia
ジャスミンとブレンダは本質的にはよく似ている
「幸福か不幸かを決めるのは自分の心である」という言葉はよく聞くけれど、結局その言葉に救われるか、それとも絶望を覚えるのかもまた自分次第なんだよなあと思います。この映画を楽しめるかどうかも、同じように自分次第と言えるのかもしれません。
裏を返せば、結局どんな状況でも「幸福」を感じることはできるはずなのに「不幸」を感じてしまうのは、つまりは自己責任であるということになる。「幸福は自分の心が決める」。これは前向きなはずの文言なのに、捉え方によってはより追い詰められてしまう人もいるのではないかと思う。
『バグダッド・カフェ』作中では、ジャスミンとブレンダという二人の女性が対比するかのように描かれている。実際、二人の境遇はよく似ている。ジャスミンは砂漠の中で旦那と仲たがいし、ブレンダは不甲斐ない旦那を自らが切り盛りするカフェから追い出した。
ただ、夫を捨てた女がその後幸せになれるか否かというのはそれこそその人の性質次第というところがあって、その点、ジャスミンとブレンダの態度は正反対だったりする。
ブレンダは周囲の人々に対しひたすら強い態度で接するが、これは主に自分を守るためであると言えると思う。教鞭な態度をとることでなんとか自分を奮い立たせる姿は雄々しくもある…が、正直そういう姿勢は自分自身をもすり減らすことになるので、最終的に自身も周囲も疲れ果ててしまう。「幸福」とは真逆のところにずんずん近づいていってしまうことになる。
一方のジャスミンは本来の気質なのかひたすら大らかにどっしり構えていて、もはやほとんどカフェとして機能していないような店内で、あたかも自分自身が主人であるかのように悠々とふるまう。このどっしりした嫌味のない安定感、これはやっぱり生まれ持っての才能と言えるのかもしれない。
事実、カフェの人々は皆彼女に惹かれていったし、ついにはブレンダさえも、結局はジャスミンに救われる形になった。
彼女たちを客観的に見たとき、私は、というより多くの人はきっと、ジャスミンにあこがれるのではないかと思う。しかし、どんなにジャスミンにあこがれていたとしても、実際に彼女たちと同じ境遇に置かれたとき、ジャスミンにはなれずブレンダのようにふるまってしまう人が大半なのではないだろうか。
私はおそらく生涯、ジャスミンにはなれない。ジャスミンになりたくてなれない、そういう人にはとことん刺さる映画なのではないかという気がする。
映画見どころ 幸福の再発見は難しい?
この映画の謳い文句は「人々の交流を描いたヒューマンドラマ」ということだけれど、その実 裏テーマとしてひっそり存在するのは「すぐそばにある幸福を再発見する」ことの簡単さ、そして難しさなのではないだろうかと思う。
ジャスミンは生来それができる人で、ブレンダはそのやり方を「忘れていた」人である。バグダッド・カフェの主人であるブレンダが、ジャスミンとの出会いを通してその方法を思い出すことによって、カフェ自体も瀕死の生き物が息を吹き返すようにどんどん活気づいてくるのだ。その過程に勇気づけられるかどうかも、あるいは観る人の度量によって変わってくるのかもしれないけれど。
一度ずーんと落ちたところで再び幸福を発見するのは難しいように思えるが、ジャスミンのような人が一人いるだけでその難度は急激に下がる。その過程がカフェの繁盛ぶりが見事に反映されていて、見ている方としてはその爽快感がたまらない。
幸福を感じている人の周りには、自然と人が集まってくる。その中心となっているジャスミン、そしてブレンダの魅せ方が非常に見事で、見ごたえのある映画でした。
それでは、今日はこのへんで。