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【2023年活動再開】エレファントカシマシの新曲『yes. I. do』を聴いて思うこと。

満を持して活動を再開したエレカシの新曲『yes. I. do』(実に4年9か月ぶりのシングルです)に心の底から感動していて、でもその気持ちを吐き出す場所があまりないのでブログに書きました。

エレカシファンです!と声高に宣言できるほど日常的にエレカシに入れ込んでいるわけではないので、彼らに長年心酔しているファンの人たちとは、もしかしたらちょっといやだいぶ熱量が違うかもしれない。…が、なんかやっぱりエレカシいいよなあとじーんとくる気持ちはきっと皆同じはずです。

 

 

 

新曲『yes. I. do』はミヤジ節の再骨頂

『yes. I. do』は映画『シャイロックの子どもたち』の主題歌であり、宮本さん自身も曲を作るにあたって映画を2度鑑賞した、とインタビューにて語っています。

私は『シャイロックの子供たち』は原作小説、映画ともにみてないので作品内容とどのようにマッチしているのかは何とも言えませんが、ただ初めて歌詞を見たときに「うわ~”エレカシ”だなぁ!」と感じたのを覚えています。

何といってもまず一人称の「俺」。まあ歌詞に「俺」が入った歌などたくさんあるわけですが、最近の流行りを考えるとどうもTiktokなどでバズりがちな綺麗にミックスされた曲、音声がメジャーな気がしていて、そしてそういった曲の一人称はやはりちょっと「綺麗」な印象のある「私、あなた」あるいは「僕、きみ」が多い気がするのです。

もちろんそこを否定したいわけではなく、ただやっぱりエレカシ、というかミヤジに合う一人称は断トツで「俺」だよなあ~と思うんですよね。出演者の阿部サダヲさんも「宮本さんには俺という歌詞が本当に似合いますねえ」とコメントされています。(映画公式サイトより)

ちらっと調べてみると、現にエレカシの楽曲の半分以上は一人称は「俺」であるらしい。うんうん…やっぱりどう考えてもエレカシには「僕」「わたし」じゃなく「俺」なんだよなぁ。最近はこういうバンド、やっぱり少なくなってきましたよね。

 

私はエレカシのこういう男くささ、あるいは男気みたいなものがものすごく好きなのです。単純な趣味嗜好の範囲における「好き」というよりは、このご時世、こういう人が絶対に必要だよな…と時々真剣に考えてしまうくらい「ハマって」はいると思う。


余談ですがずいぶん前にエレカシが歌番組に出演した際、『笑顔の未来へ』の歌詞の「あなた」を「おまえ」に変えて歌ったことがあったんですよね。うん、これこれ!と思わず手を打ってしまった。いやもちろん「あなた」も曲の雰囲気によく合っていて良いのだけど。

「俺、おまえ」の一人称二人称がこれほど似合う人、そしてさらっと使いこなせる人というのは令和のこの時代、とても希少な存在なのじゃないかと思うのです。…リアルでこういうことを言うと「え、そんなモラハラっぽい人が良いの?」と斜め上の解釈をされたことがありますが、もちろんそういうことではなく。

「俺についてこいよ、任せておけ」という精神を持っている有言実行な人というのは、やはりどんな集団においてもとても重要かつ貴重なもので。


個人的に、エレカシの歌詞にはものすごくそういったメッセージをびしびし感じるのです。なぜならエレカシの歌詞は、大半は、底抜けに明るいものだと思うので。

一見暗いことを歌っているように見えても、すぐ裏側にちゃんと太陽の光みたいな明るさが零れている。
いや、時には歌詞さえなくても(『歴史前夜』は衝撃だった。まだ歌詞もない未完成の曲なのに泣いた。知らない人はぜひyoutubeで見てみてほしい)、
負けんじゃねえぞ!みたいな男気は、もう誰が聞いてもはっきりと伝わってくる。


新曲『yes. I. do』の歌詞もそうで、前向きではあるけれど弱さもちゃんと認めてくれる優しさが全面的に溢れています。これはちょっとエレカシの原点復帰みたいなところもあるのではないのかな。中でも「時間ではなく弱さにあらがいたい」というところがもう本当に魅力的だなあと。

しかしこういったゆるやかに受け流すようなニュアンスは、いかにもエレカシらしいようで、でも案外これまではなかなか見られなかった表現のようにも思うのです。若い頃はきっと「弱さ」よりも「強さ」に目を向けていた。

これこそがもしや大人の余裕というやつなのか。あるいは結成35周年のこのタイミングだからこその歌詞なのかもしれませんが。エレカシの原点と大人の渋さがいい感じに共存していて、ありふれた表現だけれどやはり「カッコいい」。

流れていく時間に焦りを感じている、ということは宮本さん自身が過去のドキュメンタリーなどで幾度となく言い続けていることで、でも歌詞を見ればそういう焦燥感はきっと全て音楽に昇華されて、一つ一つきちんと完結しているんだろうなあと。

 

歌詞と言えば、エレカシの歌詞、もしくは曲タイトルには「俺」の他にも、「明日」というワードがかなりの高頻度で登場します。代表曲『俺たちの明日』はもちろん、その他の知る人ぞ知る系のさまざまな曲にも、あらゆる形で「明日」というワードがちりばめられている。

明日が怖い。先を見たくない。と感じている人なら、そもそもそんな前向きな歌なんて聴きたくないと感じるものなのかもしれません。私自身も頑張れ負けるなと馬力だけをひたすら押し付けるような曲はどうにも好きになれないし、それはもちろん落ちているときに応援ソングなんて聞くもんじゃないという意見には全面的に賛成したいわけですが。でもあくまで私は、エレカシの楽曲に限ってはどんな歌詞であれ、そんな風には感じないんですね。

たしかにエレカシ楽曲にも頑張れ負けるな系の歌はあるが、あれらは決して「押し付けソング」ではないと思う。辛いとき聴いていても苦しくはならない。「自分が今いる世界が全てじゃないんだ」と思える。そんなふうにふっと肩の力が抜けるような、何か不思議な力が宿っているように思うのです。

完璧なもの、綺麗なもの、真っすぐなもの、いわゆる「ホンモノ」には、浮上したくてもがいている人にも届くようなたしかな光があるんじゃないでしょうか。少なくとも私は、エレカシの曲を聴いて「上がった」ことはあれど突き落とされたことなんて一度もない。これはきっと、いや絶対に、ファンの欲目というだけの話ではないと思う。

 

長々と書いてしまいましたが、結論としては新曲『yes. I. do』はエレカシらしくて素晴らしいよね!というだけの内容ですね。笑 今後もずっと、陰ながら応援していきたい。

そして余談ですが、この3月から突然ツイッターを始めた石くんこと石森さんのことがひそかに気になっていたりします。い、石くんがツイッターを!という衝撃はもちろん、呟きの頻度の高さもすごいなぁと思う。これは活動再開したエレファントカシマシのプロモーションの一つなのか?それとも石くんの意思(ダジャレではない)で、彼なりに楽しんでやっていることなのだろうか…?

何にしても、あらためて活動を始めたエレカシのこの先が楽しみで仕方ない。同じ時代に生まれてきて良かった、と思える表現者が今日も同じ国のどこかで生きていると思うだけで、ひそかに救われている人間もいるのでね。ネットの隅っこのこんな些末な記事が彼らに直接届くとは思っていないけれど、それでも活動を再開してくれてありがとうという感謝の念をここに記しておきたい。

 

 

 



 

 

それでは、今日はこのへんで。