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【パラレルワールド】マンデラ・エフェクトって知ってる?事例を集めてみた!

皆さんはマンデラ・エフェクト(マンデラ効果)をご存じでしょうか。

これはちょっと不思議な話なんですけど、深堀りするとなかなか面白いんですよね。

 

 

マンデラ・エフェクトとは

事実と異なる記憶不特定多数の人々が共有している現象を指すインターネットスラング
また、その原因を超常現象や陰謀論として解釈する都市伝説の総称。(Wikipediaより)


「事実とは異なる記憶」を、大勢の人が共有している。
これ、すごく面白いと思いませんか?

「事実と異なる記憶」の事例は、多岐にわたります。

たとえば、存命人物の訃報や追悼番組の記憶。
「あれ、たしかに見たんだけどな…。
いやでも、あの人、まだ亡くなっていないよね」

あるいは、映画やドラマなどで、実際には作中に存在しない場面や台詞の記憶。
「いやいや、こういう場面、あったよね?!」
「は? なに言ってんの、そんなのないよ~」

もしくは、実際とは異なるキャラクターや商標、などなど…。

もっともこういった現象は、たいていが日常のなかの些細なものごとに関するばあいが多いため、単に「記憶違い」で片づけられることが大半です。

「あんたの思い違いじゃないの?」
「え~うーん…、それもそうか…(でも、たしかに記憶にあるんだけどな…)」

まあひとりやふたりであれば「記憶違い」「勘違い」「誤解」で済ますほうが、むしろ自然なのかもしれません。

しかし同じような記憶違いが、互いにまったく面識のない不特定多数の人間のあいだに存在しているということは…果たしてありうるのでしょうか?

以下、「マンデラ・エフェクト」としての代表的な事例、そして日本人にとって身近な事例などをまとめてみました。

 

 

事例①~有名人の生死に関するもの~

ネルソン・マンデラ

まずは、「マンデラ・エフェクト」という用語のもととなった事例です。
南アフリカの指導者であった、ネルソン・マンデラという人物は、
2013年まで生存していた、というのが事実。

ところが「ネルソン・マンデラは1980年代に獄中死した」という記憶を持つ人々が、当時は大勢存在したといいます。

ひとりやふたりでなく、不特定多数の大勢ですよ。
しかも「獄中死」という共通の記憶。(怖い怖いこわい…)

 

小林亜星

作曲家の小林亜星さんは、2021年に心不全で亡くなられています。

しかしその報道後、多くの人が、「あれ、だいぶ前にも同じ報道なかった…?」と、混乱したそう。

驚くべきことに、小林亜星さんの訃報を前にも見た!という人や、小林亜星さんの作曲された曲を順々に流している追悼番組を見た!という人がかなりの数いたのです。

ちょっと調べてみましたが、「訃報があった」とされる時期は、実際に亡くなる十年ほど前に一度、それから、数年前に一度。
つまり「これで3度目の訃報だ」と認識している人もいたとか。(そんなバカな…)

小林亜星さんについて検索してみると「小林亜星さんはいったいいつ亡くなったのか」「訃報 何回目」といったキーワードが未だにたくさん出てきます。

 

その他有名人

ビリー・グラハム、デヴィット・ソウル、モハメド・アリ など。

 

 

事例②~地理・地形に関するもの~

オーストラリアの位置

地理や地形に関するマンデラ・エフェクトの事例はいくつかありますが、
なかでも最も有名なのは「オーストラリア大陸の位置」です。


これが現在の地図ですね。


オーストラリアの位置に着目したときに、

「あれ…、オーストラリアって、こんなにパプアニューギニアインドネシアに近かったっけ…?
「もっとなんか、太平洋の真ん中に独立してなかった…?

というような感想を抱く人がやたらと多いと言われています。

要は、オーストラリアは「もっと右にあった!」あるいは「もっと下にあった!」という、事実と明らかにずれた記憶。


こんなイメージでしょうか…?(※ 勝手に編集した地図です)

 

 

でもこの説、個人的にはちょっとわかるんですよね…

私としてはオーストラリアが「もっと右寄りだった」記憶はないのですが(テストのときに「日本の真下」と覚えたから)、
「もっと南にあった」という感覚は何となくあるのです。

小学生~中学生くらいの時期、地理の勉強をしていた際に目にしていた地図では、
たしかオーストラリアはもうちょっと下のほうにぽつねんと独立して位置していたような気がしてならない。

いわゆるザ・孤島といったイメージがあり、少なくともユーラシア大陸にこんなに密着してはいなかったと思うのです。



 



↑ 個人的にはこんなイメージでした(離れすぎw)。

…まあ図法とかによって、色々と変わってくるのではないでしょうか…(適当)


他にも地理的な面でいうと、
アメリカの州の数は実際(50)より多い、51や52だった!」
「日本の都道府県数は実際(47)ではなく、48だった!」

といった記憶を持つ人もやたら多いということです。

 

事例③~漢字~

「勉」

「勉」の「力」の部分は「ム」だった!という記憶。

「恵」、「専」

右上に点があったはず!という記憶。

大田区

東京都大田区が、「太田区」であった、という記憶。

これは、いくつかパターンがありまして、

①「大田区」しか知らないという人
②前は「太田区」であったが、あるとき「大田区」に変わった、と認識している人。
(実際は最初からずっと「大田区」です)
③「太田区」しか知らないという人

だいたいこの3ケースのようですね。

 

 

 

事例④~映画・ドラマ・アニメ~

映画「千と千尋の神隠し

これは、わりと有名な話ですね。
実際には存在しない「幻のラストシーン」を、いやたしかに見た!という人がやたら大勢いる。

【本当のラスト】
ハクとわかれ、両親と再会した千尋
トンネルを抜け、ようやく振り返ってトンネルを見つめる千尋
両親に呼ばれて、いっしょに車に乗り、走り去る。

【幻のラストシーン】
車で走り去ったつづきのシーン。
新居に向かうと、ひっこし業者がすでに来ている。
「遅れられると困りますよ!」
なにげなく新居の近くを歩く千尋
ふと、小さな橋のかかった小川にさしかかる。
川をながめた千尋がはっとした表情をうかべ、ものがたりは終わる。
(この川がハクの生まれ変わりであると気づいた…というような示唆?)


同様に「天空のラピュタ」のエンディングも別バージョンがあった!という声もあるそうです。
ジブリは奥深いわね。(ん、そういう話?)

 

アニメ「巨人の星

オープニングで星飛雄馬がタイヤをひいていた…という記憶。
実際にはそんなシーンは一度もないそうです。

映画「セックス・アンド・ザ・シテイ」

「セックス・イン・ザ・シテイ」と認識している人が、なぜか一定数いるそう。
実際にはそんな名前の作品はありません。

 

アニメ「ドラえもん

謎のエピソード「行かなきゃ」。
実際にはそんなエピソードはなかったのだが、「たしかに見た!」という人がやたら大勢存在する。

「行かなきゃ」はこんなエピソードだったそうです。

深夜に突然はじまったドラえもんで、のび太がただどこかに歩く映像が延々と流れる。
(ここは諸説あります。のび太以外のメンバーも勢ぞろいしていた、という説も。)
ラスト、「行かなきゃ」とのび太がひと言残して放送は終わる。

 

しかし、そもそも「ドラえもん」が深夜に放送されたことなんてないんですよね。
ですが、この「行かなきゃ」が放送されたという日は、1996年の9月23日。
これは、藤子・F・不二雄先生がお亡くなりになった日でもあるのです。

「行かなきゃ」とは、「天国」に…?
この回は、テレビ局の配慮とか、追悼の意とかだったのでしょうか。
(でも、放送されたのは死去報道前だったそうですし、
そもそも映像もどこにも残ってないし、漫画にもそんなタイトルの話はないし…うーん…)

 

他にも、「タレント」という謎のエピソードがあった、という話もあります。

ドラえもんも、さすが奥が深いですね!(?)

 

事例⑤~商品・キャラクター~

ピカチュウの尻尾

ピカチュウの尻尾の先端の色は「黒」だった!という記憶。
実際には、尻尾の先は黄色です。
先端が黒いのは耳だけ。(ふつうに耳と間違えたのでは…)

 

ミッキーマウス

ミッキーマウスは「サスペンダーをつけていたはず!」という記憶。
実際には、ミッキーがサスペンダーをつけていたことなんてないそうですが。

 

おさるのジョージ

ジョージには尻尾があったはず!という記憶。(実際はない)
まあ、サルには尻尾あるほうが自然ですしね…

 

ファンタ

1970年代に、ファンタの「ゴールデン・アップル味」が発売されていた!という記憶を持つ人が一定数いるそう。
実際にはそんな味が発売されたことはありません。

 

Kit Kat

「Kit Kat」のロゴにはハイフンがあった、「Kit-Kat」だったという記憶。(実際はない)

 

フォルクスワーゲンのロゴ

VとWがつながっていた記憶。(実際はつながってない)

 

 

私個人のマンデラ・エフェクト(?)エピソード

小学校低学年のときの話です。
お休みの日に、クラスの友だちからお誘いを受けました。
「美味しい駄菓子屋さんがあるから、いっしょに行こうよ!」と…

母親に「行っていいかな?」とたずねると「いいよ」とお小遣いをくれて、とても嬉しかった記憶があります。
友だちとお店に行って、私は普段子どもだけでお店に行くことなんてなかったので嬉しくてはしゃいでいました。
お菓子が当たるくじをひいて見事当選し、かなり上等のお菓子を手に入れました。

…とまあ何とも他愛ないエピソードですが、まだ6つや7つくらいの子どもにしてみればちょっとした冒険ですよね。
親同伴でない、子どもだけでの買い物。くじに当選。
だから幼いながらにすごく楽しくて嬉しかった覚えがありますし、こんなことを記憶違いするようなはずはありません。

ところが、後日ーー。
その友だちに、「あの駄菓子屋さん、たのしかったね!なんていうお店だっけ」と聞くと…
「ん?駄菓子屋さん?なんのこと?」という答えが返ってきました。
「いやいや!いっしょに行ったじゃん!」
「えっ」
「えっ…?」

どうしても話がかみ合いません。
友だちの主張するところによると、「たしかにいっしょに遊んだけど、駄菓子屋さんなんて行ってないし、そんなお店知らない」とのこと。

そ、そんな…。
ではあの楽しい記憶はなんだったのか…ゆ、夢…?

どうしてもあきらめきれない私は、後日ひとりでその駄菓子屋さんを探してみましたが、なぜかそんなお店はどこにも見当たりませんでした。(一回しか行っていない上に近所でもなかったため、ふつうに道を覚えてなかった可能性も高いが)

母親にも聞いてみましたが、
「うーん?そんなことあったっけ…」みたいなあいまいな返事。

このエピソードを「マンデラ・エフェクトだ!」なんて表立って主張すると笑われて、
「いや、あなたの勘違いか記憶違いでしょ? まだ子どもだったわけだし」
決まって、こういうひと言で片づけられるはず。

でも子どもの頃に経験した楽しかったエピソードというのは大人になってからの出来事の何十倍もきらきらしていて鮮やかで、だから絶対その感覚を忘れたりしないし、そうそう勘違いなんてしないのでは…?と個人的には思うのです。

マンデラ・エフェクトについて調べていると、こういうエピソードはわりとたくさんあるようですね。

家族や恋人とどこかに行ったときに、
「あ、ここ前も来たよね!あのときは楽しかったね~」
「は?何言ってんの?来るの初めてだけど」
みたいな、どれもこれもがいわば個人の”ちょっとした記憶違い”で片づけられるようなレベルの話です。

 

もちろん実際ににその人の記憶違い、勘違いだったというケースもざらにあるでしょう。
でもほんとうに「楽しかった」記憶って、時を経ても、わりと鮮明に覚えている人のほうが多いのでは…と私は思うのです。

 

 

マンデラ・エフェクトの原因はパラレルワールド

当記事にまとめたマンデラ・エフェクトの事例は、ほんの一部。
世界には、数多くのマンデラエピソードがあふれています。

いったいなぜ、こうした現象が起きるのでしょうか。

その説明として主に用いられるのが、「パラレルワールド(並行世界)」の存在です。
(というより、パラレルワールドの存在を裏付けるためにマンデラ・エフェクトを引き合いに出すケースも多い気がしますが)

 

itono-tono.hatenablog.com

 

私たちが生きている「この世界」はひとつではなく、無数の並行世界、無数の並行現実が同時に存在しています。

私たちは皆、無意識のうちにその無数の世界線を少しずつ移動しながら生きている。

時々その世界線の移動」がひとりやふたりではなく、複数の人間、「不特定多数の大勢の人」に、同時に起きることがあります。

マンデラ・エフェクト、つまり「大勢の人の共有する記憶違い、勘違い」は、
この「集団移動」の結果である、という説が主流です。

 

 

つまり世界線を移動しても、人の記憶はそのままなので、
前の世界での記憶や思い出が、今の世界の現実、事実と少しずつ食い違ってしまうということになります。

私のエピソードでいえば、

①私と友だちが駄菓子屋さんに行った世界
②行っていない世界

が同時に存在して、私だけが①の世界に移動した、もしくは、友だちだけが②の世界に移動した…というような考え方ですね。

 

なるほど面白い!と納得するか、いやいやそんな馬鹿な!と笑い飛ばすかどうかは、個人の自由ですが…

 

あなたは現在、どの世界線を生きているのでしょうか?

そしてあなたの周囲の人は、本当にあなたと同じ世界を生きているでしょうか?

 

パラレルワールドマンデラ・エフェクトに関する書籍

 

 

 

〇不思議なことは他にもたくさんあります

itono-tono.hatenablog.com

 

 

 

それでは、今日はこのへんで。