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【つまらない?】細田守監督作品『竜とそばかすの姫』ネタバレ感想と考察 テーマは主人公すずのトラウマ克服

細田守監督映画『竜とそばかすの姫』を観ました。

個人的には結構面白いと思ったのだけど、しかしネット上のレビューをみてみると「つまらない・ひどい」という意見も結構みられたのでびっくり。…が、まあ終盤の展開を考えると否定派の意見も一理あるのかな…という感じでしょうか。

 

というわけで、今回は本作について個人の所感を書いています。

ネタバレ要素満載ですのでご注意を。

 

 

 

 

『竜とそばかすの姫』あらすじ

高知県の田舎町に住んでいる、そばかすが目立つ地味な女子高生・すずは、幼い頃に母を水難事故で亡くし、さらにネットで事故時の母の行動が炎上して以来、大好きだった歌を歌えなくなり、父との関係も最低限の会話しか交わさないようになるなど溝が生まれていた。そんな中、作曲だけがすずの生き甲斐となっていた。

 

50億人以上が集うインターネット仮想世界〈U〉と出会った女子高生を主人公とした物語[1]。「ベル」というアバターで〈U〉に参加し、その歌声でたちまち世界に注目される存在になっていく一方で、竜の姿をした忌み嫌われる謎の存在と出会い、変わっていくさまが描かれる。

引用元:Wikipedia

 

 

『竜とそばかすの姫』は一人の少女がトラウマとひたすら向き合う物語だと思う

本作を観る前は、CMなどの印象から、メタバースやらアバターやらの異次元的な印象が強かった。…というより、少々その印象が強すぎた。

おそらくだがこの映画をつまらないと酷評する人の多くは、映画を観る前の先入観にとらわれすぎて物語の軸にあるものの認知がちょっとズレてしまっているんじゃないかという気がしないでもない。

 

あらためて観てみると、アニメ映画特有のポップな雰囲気とはうらはらにかなり残酷な面も多いストーリー展開だと思う。


主人公のすずという少女は、幼い頃に母親を事故でなくしている。しかも交通事故などの不慮の事態によるものではなくて、母親が自身の意思によって、溺れかけた知らない子供を助けようとして…というなんとも自己犠牲的精神のもとに起きてしまった悲劇の結末である。


あのとき、自分が「いかないで」と泣いて頼んだのに、どうして実の子である自分よりも、名前も知らないよその子供を優先したのか…。


このすずの葛藤はもっともだと思うし、彼女の疑問は、そのまま世間の声として一人歩きしていく。

人命救助というすばらしいことをしたのは間違いないのに、世間からはただ批判されつづける日々。匿名の不特定多数の意見というのは本当に残酷で、そして「正義」というものは突き詰めればきりがないので、遠く果てなくどこまでも広がっていく。

 

すずが「歌う」シーンや竜の存在など展開が盛りだくさん

ストーリー後半は、VR空間における歌のシーン、そして「謎の竜」などとにかくスクリーン映えする「派手な」要素がとにかく盛りだくさんな印象を受けた。


もちろん映像作品としては目にたのしくてとても良かったのだけど、そのぶん物語のスケールが大きくなりすぎてしまい、物語の軸に存在する「主人公すずのトラウマ克服」という内省的な要素が少々薄まりがちに感じられてしまったのが正直なところ。

 

『竜とそばかすの姫』は、すずという少女が自分の分身ともいえるベルとしての立場で一種の成功をつかむというシンデレラストーリーではない。

いや、もちろんある意味ではそういう見方も可能なのだけど、ベルとしての成功は、おそらくは彼女が望む最終的な幸せの境地というわけではない。ベルの姿はあくまで幼少時のトラウマを克服していくための、単なる「過程」にすぎないのではないかと思う。

 

そしてネット上の声をみていくと、多くの人が疑問を抱いているように思われるのがラストの展開。「すずはなぜ一人で東京に行く必要があったのか」と。

 

すずはなぜ一人で東京に行ったのか

未成年であるすずが一人きりで危険をともなう場所に行くこと、そして周囲が誰も彼女を止めず、また同行を申し出ることもなかったことについては、たしかに突っ込みどころ満載だと思う。

百歩譲ってすずが「強くなった」という描写としてはアリだと思うのだけど、彼女を止めずに送り出す周囲の人々のほうは、普通に考えればそれはもう明確に「おかしい」。すずを大切に思っているのならばまずは止めるのが正解だろうし、彼女を止めるのが不可能ならば、せめて同行しようとするのが自然だろう。

 

しかしよく考えれば、このすずの行動は、彼女の母親のそれと全く同じなのである。知らない子供をたった一人で助けに行く、という無謀な行動を物語の終盤にてあえてすず自身にさせているのだ。

少々現実味に欠ける展開であることはたしかだが、この作品全体をあらためてみてみれば、この展開はやはり不可欠なものだったんじゃないかと思う。

 

トラウマを克服するための方法の一つとして、あえてその当時と同じ状況に身を置いてみる、というものがある。

おそらくは無意識のうちに、すずはそれを実践していたことになる。この展開があって初めて、彼女は幼少のころからずっと抱いてきた母に対する不信の念から解き放たれたのではないだろうか。

 

 

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