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岩井俊二監督映画『リリイ・シュシュのすべて』ネット上で青猫と名乗っていた星野について考える

インターネットとは言うまでもなく大変便利なもので、現代社会を生きる上ではもはや欠かせない存在になってきたけれど、その一方でトラブルや犯罪のもととなる危険性も秘めているのが最大の特性ですね。

2001年に公開された岩井俊二監督映画『リリイ・シュシュのすべて』劇中では、今から20年以上前の作品でありながら、このインターネット世界の闇がきわめて巧妙に表現されていたと思うのです。

 

 

※以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

リリイ・シュシュのすべて』劇中ではインターネット世界の闇が先駆けて表現されていた

リリイ・シュシュのすべて』は映像作品ですが、実は映画が公開される前に本作のもととなるインターネット小説が公開されていたことをご存じでしょうか。

形態としては岩井俊二監督自身の立ち上げたサイト上で作成されたもので、誰でも書き込みができる掲示板のような形でした。

 

ネット掲示板…と聞くと思い浮かぶのは5ちゃんねる(旧 2ちゃんねる)ですが、この2ちゃんねるが始動したのが1999年。

つまり『リリイ・シュシュのすべて』の制作当時には、少なくともまだ今ほどは、ネット上に匿名で何らかの情報を書き込むという行為は広まっていなかったはずなのです。

 

にもかかわらず劇中では、ネット上の匿名性を活かした表現世界のありようや、匿名の相手の言葉に救われたり傷ついたりする若者のすがたが非常なリアリティをともなって再現されています。

 

劇中ではひどいいじめや犯罪行為の蔓延する閉鎖空間が舞台となっており、中でも数ある過激な表現が賛否両論を呼んでいますが、実はこのネット上の”リアルに見えない部分”における闇が作品の根底にあることが、あの世界観の強烈なリアリティに直結しているのではないかと個人的には思うのです。

 

ネット上での友人”青猫”の正体は実は自分をいじめていた相手だった

匿名性の怖さ…と言えば、当然ながらネット上で言葉を交わす相手の顔が見えないこと。そのため相手の性別も年齢もわからない、さらには、その気になれば人格さえも簡単に偽れるということは常に念頭に置いておかなくてはなりません。

 

リリイ・シュシュのすべて』劇中では、過激ないじめを受けつづけている主人公 雄一がインターネット上でひそかに主催する掲示板型ファンサイト「リリフェリア」内の様子が、場面の合間合間で登場するのが印象的でした。

 

このサイトの趣旨は、アーティストであるリリイ・シュシュのファンが集い交流をはかるというものでしたが、その中で雄一は「青猫」と名乗る人物と仲良くなり、しだいに心をゆるしていくようになります。

 

しかしこの「青猫」の正体とは、実は雄一をいじめていた当人である星野。

映画のラストにて、リリイのライブ会場で「青猫」と落ち合う約束をしていた雄一はそこで初めてその事実を知り、ショックのあまり人ごみの中で彼をナイフで刺し殺してしまうのでした。この展開に至るまでの雄一の心境、そして星野側がどう感じたのかという部分はあまり細かくは描かれていませんでしたね。

 

青猫と名乗っていた星野の心の闇

先述した通り、劇中ではあくまで大きなショックを受けた雄一側に焦点が当てられていて、一方の星野がどう感じたのかというところについては、あえてぼかされているように感じます。


インターネット上における彼の言動や文章から垣間見える人格は、当然ながら現実の星野とは全く違うものでした。

では、”青猫”としての彼ははたしてどんな人物だったのか。インターネット上での人格、性格をわざわざ偽る場合、たいていはその人に何らかの利益やメリットがあるはずです。

しかしこの場合、ネット上でどこの誰だかわからない他人にやさしい言葉をかけたところで、星野に利点があるようには思えません。すなわち、この「青猫」としての人格は「偽り」ではなく、星野自身であると考えたほうが自然でしょう。

 


リアルの世界では多くの人をひどい方法で傷つけていたものの、インターネットの世界では歌手リリイを崇拝する匿名のファンとして、ファンサイトに入り浸る日々を続けていた。

いじめっ子だった星野と、いじめられっ子だった雄一が同じアーティストに惹かれるというのは皮肉なものですが、でもこういうことは、現在もふつうに起こっていることなんじゃないかなと思うんですよね。

たとえば会社でそりの合わない上司がいたとして、でも実はその人と隠れた趣味が同じで、だからTwitter上では匿名どうしで交流していた…なんてことは、誰もがスマホを持っていて気軽にネット上で活動している現在、実質それほどめずらしいことでもないのかもしれない。

 

その気軽さをあくまで気軽に楽しむのであればいいけれど、そこに本質的な救いを求めてしまうと、星野と雄一のような悲劇が起きかねません。

劇中にて激しいいじめや犯罪行為を続けていた星野自身も、おそらくは明確な「救い」を求めていて、そしてそれがリリイという存在だった。サイトの管理人をしていた雄一と同じく、「青猫」としての星野もまた、彼女の歌声に「救われ」つづけていたのでしょう。

 

こうした星野という人物のなかに明確に存在する「矛盾」が、ストーリー上でリアルに、かつ自然に表現されていることも『リリイ・シュシュのすべて』の面白さの一つじゃないかと思うのです。


映画ラストにて、星野を刺した雄一の行動は、たぶん本能とか衝動というよりは、実はものすごく理性的な何かに従った結果なんじゃないでしょうか。

青猫の正体が星野とわかった瞬間、「青猫」に裏切られたという感覚よりは、リリイを汚されたような痛みのほうが実は強かったんじゃないかと個人的には思ったりもするのでね。

もっとも、そこに関しては劇中ではあいまいにぼかされているため、あくまで解釈は視聴者側にゆだねるといったところなのだと思いますが。

 

 

〇原作小説

 

 

 

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