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【映画】「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」ネタバレ感想と考察 パラレルワールドと終わりのない時間の輪廻

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年末に何か映画でもみようかなと思い、アマプラで見つけてなんとなく観てみた本作でしたが見事にハマってしまいました。というかこれほど深い話だとは思っていなかったもので…

 

というわけで今回は、福士蒼汰さんと小松菜奈さん主演の邦画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の自分なりの感想を書いておこうと思います。
※重要な部分に関するネタバレがありますのでご注意ください。

 

 

 

ぼくは明日、昨日のきみとデートする」かんたんあらすじ

京都の美大[注 1]に通う学生の南山高寿は、通学電車[注 2]の中で出会った福寿愛美に一目惚れする。勇気を振り絞って声をかけ、別れ際に「また会える?」と聞くが、それを聞いた彼女は突然涙を流し、抱き付いて来たのだった。驚く高寿には、この時の彼女の涙の訳を知る由もなかった。

 違和感を覚えたのは、誰にも見せていない自作小説のヒロインの名前を、彼女が知っていると気付いたときだった。「予知能力でもあるの?」と聞く高寿に、彼女はいった。 「あなたの未来がわかるって言ったら、どうする?

引用元:Wikipedia

 

▽原作小説

 

 

 

ぼくは明日、昨日のきみとデートする」感想(ネタバレあり)

二人の出会いから中盤にかけてのストーリーは、福士蒼汰さん演じる高寿の視点をメインとして進んでいきます。が、ラストの約15分ではうってかわって、小松菜奈さん演じる愛美の視点が軸として描かれています。

こういった、いわゆるラスト〇分に視点や表現が一転するような見せ方はこの手のストーリーにおいてはわりと定番なのかもしれませんが、この映画も例に漏れずという感じでしたね。
話の内容からしても、あるいは「きみ」の心情をより叙情的に演出するという意味でも、とても良かったなあと思います。

 

本作で描かれているのは、異なる時間軸を生きているがために、わずか30日間しか同じ時間を過ごせない…という、少々特殊な世界観で「恋人」となった男女の物語です。

高寿の時間は、過去から未来へ。愛美の時間は、未来から過去へと流れている。
出逢うはずのなかった二人が出逢ってしまったきっかけは、遠い過去に(愛美視点では未来)にあります。

 

二人が互いに命を救い合ったからこそ、生まれてしまった縁、そして恋愛感情。
しかし、明確な「出会い」の地点とは、いったいいつのことなのでしょうか。

 

高寿と愛美の「始まり」はいったい「いつ」なのか?

高寿と愛美の「出会い」は、正確にはいつなのか。

この部分について考えてみましたが、これは本当に難しい。というより、捉え方や見方(あるいは原作の読み方)によって、幅広い解釈が可能になるように思います。

 

映画の流れからすれば、二人の出会いは双方が20歳の時点である、という解釈が最も自然なのかもしれません。
つまり映画の冒頭で描かれる電車の中が初めの遭逢であったという考え方になりますが、ここですでにある種の矛盾が出てきます。

愛美は高寿に、自分が5歳のときに、35歳のあなたに助けてもらったと話しています。そして高寿も同じように、5歳のとき、年上の女の人(35歳の愛美)に助けられたと話している。

35歳の愛美に救われた5歳の高寿は、成長して20歳になり、20歳の愛美に出会う。同じように、35歳の高寿に救われた5歳の愛美も、15歳や20歳になった時点で、25歳、20歳の高寿に出会う。


スピリチュアルの世界ではよく、過去も未来も存在しない、実際にあるのは「今」だけであるということが明言されていますが、この作品ではこのことが非常に分かりやすく具現化されているように思います。

二人の関係性において、出会いと別れはさまざまな地点にあり、それが無限に繰り返されて、終わることがない…
そして、高寿の認識する「出会い」は愛美にとっては「別れ」であり、同じように愛美の認識する「出会い」は、高寿にとっては「別れ」となる。

 

まるでメビウスの輪のようにすべての瞬間が「繋がって」いるため、この二人の関係性においては結局 出会いも別れも無いというのが正解なのかもしれません。

 

 

 

愛美の生きる時間軸は「パラレルワールド」なのか?

愛美は作中にて、自分の生きる時間軸のことを「もう一つの別世界」というような表現で説明しています。これはつまり、いわゆるパラレルワールドを指すのでしょうか。


私たちの生きるこの世界は実は3次元ではなく11次元であるということは、すでに物理的には証明されています。となると、そのうちの一つは、愛美の生きる「未来から過去へと遡る」世界線であるという可能性もあると言えるのかもしれません。


そう考えると、高寿と愛美の出会いはやはり偶然などではなく必然であったと考えたほうが良いのでしょう。
命を救い合ったという点からしても、この二人は単なる恋人というよりは、いわゆるソウルメイトのような関係性であると言ったほうがしっくりくるのかもしれませんね。

 

たとえば出逢わなければ良かったと思うような関係性の人がいたとして、その人との出会いを未然に回避する世界線をもし選ぶことができたとしても、その世界線では「出会えてよかった」と思える相手との縁もまた無くなっているかもしれない。

 

人と人との縁は、おそらくはもつれ合う糸の塊みたいなもので、一つ一つの出会いもまた、見えないところで繋がっていたりもする。

そんなことをあらためて考えさせてくれた映画でした。
SFとして観ても面白いですし、もっとスピリチュアル的な観点で考えるとより深い見方ができるようにも思います。

 

加えて、二人の事情を理解したうえで考えると、「伏線」っぽい場面も無数に存在しているような気がしますね。二度三度と繰り返し観てみると、また違う楽しみ方ができるのではないでしょうか。

 

 

 

 

それでは、今日はこのへんで。