ずっと見たかったのにタイミングを逃し続けていた話題の韓国映画「ベイビー・ブローカー」を、お正月にようやく観ることができました。
なんとなくのストーリーは知っていましたが、やはりテーマそのものは本当に深くて重かった。でも、年初めに実のあるヒューマンドラマを観られて良かったです。
というわけで今回は、是枝監督作品『ベイビー・ブローカー』の感想を自分なりに書いておきたいと思います。
『ベイビー・ブローカー』あらすじ
何らかの理由で親が育てられない新生児を預かる「ベイビー・ボックス」に預けられた1人の赤ちゃんを巡って、善意と悪意が絡まりながら色んな思惑を持った人々の姿を描き出す人間ドラマ。
釜山でクリーニング店を営むサンヒョンは、知り合いで教会の養護施設に勤めるドンスとともに、ドンスの勤務先にある赤ちゃんポストに預けられる乳児を密かに横流しし、子どもを望む夫婦に斡旋する闇の人身売買に手を染めていた。一方、警察の女性青少年課員のスジンは後輩のイとともに、乳児斡旋疑惑のある教会を見張って現場で摘発することを狙っていた。(引用元:Wikipedia)
『ベイビー・ブローカー』感想
この映画の面白さの理由は「勧善懲悪ものではない」という一点に凝縮されているのではないかと、個人的には思います。
勧善懲悪ものの物語というのは、たくさんありますね。有名なところで言えば、「桃太郎」。村を荒らし娘をさらう、つまりは完全なる悪の存在である鬼がいて、その悪を「制する」存在である桃太郎がいて、桃太郎を支えるお付きもいて…と、とにかく悪vs善の構図が非常に分かりやすい。
幼い子供でも簡単に理解できる上に、善の存在が悪を制するという展開にも非常に希望があるため、昔から多くの人に受け入れられ続けている理由がよく分かります。
一方で、この『ベイビー・ブローカー』については誰が悪なのか、そして誰が善なのかという個々の立ち位置がなかなか明確になりません。一見、悪っぽい行動を取っている側の本質、あるいは根本の部分に、奇妙なくらい善意が潜んでいる。その一方で、正義のもとに動いているはずの人たちの行動・言動に、どろどろした私情や悪意が滲んでいたりもする。
当然ながら善悪の判断というのはそれをジャッジする人の立場によって全く違ってくるわけですが、この映画においては、その判断基準はあくまで「子供」。つまりは「捨てられ」て、「売られ」ようとしている赤ん坊の立場にあります。
命を「捨てる」ことは本当に「悪」なのか?
ベイビーボックスに赤ちゃんを「預けた」ソヨン。「必ず迎えに来る」という手紙を残しながらも、自分の連絡先や名前については一切書き残していませんでした。
捨てるならなぜ生んだのか?という問いに対し、彼女はこう反論します。「生んでから捨てるよりも、生む前に殺すほうが正しいのか」と。
周囲の人間は、子供を捨てたという行為そのものしか見ていない。しかしながら人間の行動には必ず理由がある。その理由次第で、行為に関する善悪のジャッジが180度変わってくることもあります。
より良い「買い手」を探し続けるブローカーの男たちもまた、ソヨンと同じように闇を抱えています。一方で、彼らを現行犯逮捕するために無理やり「買い手」を仕込む女性警察官たちも、「自分たちの利を優先している」という点では、やっていることは必ずしも善意のみの基づいた行動とは言えません。
何かの弾みで、善意が簡単に悪意に入れ替わり、同じく悪意がくるっと善意に成り代わる。突き詰めていけば、善も悪も、根本にあるものは大して変わらないのではないか。何らかの利害が少しでも絡んでいる時点で、100%純粋な善意、あるいは100%純粋な悪意というものは成立し得ないのではないか。
そんなことをあらためて感じさせてくれた映画でした。単純に映画としてストーリー展開がとても面白かったですし、是枝監督作品らしい、暗い中にわずかに見えてくる明るさや希望がとても良かったです。
来たる2023年…
今回は、2023年初の投稿になります。
本当は「今年の抱負!」みたいな気合の入った記事を書くべきか…と迷っていましたが、「今年も頑張るぞ!」みたいな体育系のノリはあまり自分らしくない気がしたのでやめました。どちらかと言えばこんなふうに、普段通りぬるっと始めるほうが性に合っている気がします。笑
当ブログは基本的には自分のためのアウトプットの場として、半ば気晴らしのように気楽に書いてきましたが、今年もそのスタンスは特に変わらず、自分のペースで気ままに続けていければいいなと思います。
今年も、いろんな本を読んで映画を観て、ドラマも音楽も楽しみたい。マイペースながらもできる範囲で更新していきますので、気ままに読んでいただければ幸いです。
というわけで、本年もどうぞよろしくお願いいたします!
それでは、今日はこのへんで。