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(ネタバレ感想)サイコホラー映画『エスター』はなぜこんなに面白いのか?エスターの女性性に注目

誰もが知るサイコホラー(サイコスリラー要素も多分にあるが)『エスター』はなぜこんなに面白いのでしょうか。

今回は一人のエスターファンとして、『エスター』の面白さについてまとめています。

 

※ネタバレ要素満載ですのでご注意を。

 

 

 

 

エスター』の作品情報

かつて3人目の子供を流産したケイト・コールマンは、家族との幸せな日々を送りながらも心の傷が癒える事はなかった。状況を改善するため、彼女とその夫ジョン孤児院を訪ね、エスターという9歳の少女を養子として引き取る。エスターは少々変わっているがしっかり者で落ち着いており、すぐに手話を覚えて難聴を患う義妹マックスとも仲良くなる。一方で、義兄ダニエルエスターのことを歓迎していなかった。

 

エスターの強かさを知ったケイトは独自に調べた結果、エスターには人格障害があると確信し、彼女がロシアにいた頃の情報を問い合わせるが、そんな情報はないと返答されてしまう。危機感を覚えたエスターはジョンに取り入り始め、ケイトの仕業に見せかけて自ら腕の骨を折るなど、密かに工作してケイトが孤立するように仕向けていった。ケイトはエスターの持っていた聖書を調べ、そこに刻印された文字から彼女がエストニアの精神病院にいたことを突き止める。(Wikipediaより)

 

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映画『エスター』はなぜこんなに面白いのか

上述した通り『エスター』という作品は基本的にはサイコホラー、あるいはサイコスリラーというジャンルに分類されている。しかし、この映画の映像表現や場面転換などをよくよく見てみると、サイコ的な表現描写にものすごく力を入れている、恐怖要素が徹底して作り込まれている…というわけでは決してないように思う。

 

なぜなら本作のストーリーの進み方は、基本的にはエスターという少女の内面の変化や感情の動きによるものであり、そこに何らかのトリックとか、あるいは明確な理由にもとづいた殺意や攻撃性などがあるわけではないからだ。

 

たとえばエスターが、その身体的特徴を利用されてロシア兵のもとで働かされていた…みたいなオチであれば話はまた変わってくるが、もちろんそんな結末は待っていない。

つまりこの映画を本質的に理解するためには、エスターという少女の内実について、あらゆる細かな描写と照らし合わせたうえで徹底的に考えなければならないということになる。

というわけでここからは、エスターの「女性性」について考えてみました。

 

エスターの女性性について

映画『エスター』の魅力は、実はサイコホラー的な面白さではなく、エスターという少女の「女性性」にこれ以上ないほど焦点を当てているからではないかと私は考えている。

 

エスターは生まれつき「成長できない」性質を持っているが、もちろん年を経るにつれて内面は「大人」になっていく。身体が幼い少女のままで、しかし心は成熟した大人の女性であるという苦しさ…。

彼女が生まれ持ったサイコパス的な要素のうえに、さらにこの身体的な苦しみが存在して、そのことが彼女自身の異常性・猟奇性を「増幅」させているからこそ、『エスター』はこんなにも面白いのではないだろうか。

 

エスター』劇中にて、観るたびに毎度注目してしまうのは、引き取り手であるケイトやシスターら「女性」に対するエスターの態度、それからケイトの夫であるジョンに対し色仕掛けをはかる際のエスターの表情である。


ケイトやシスターに対するエスターの行動や言動は、決してシリアルキラーゆえのものばかりではなく、あくまで一人の女性としてのものも多かったように思う。

私たち視聴者側は、当然ながら猟奇犯罪者の心理や心境を理解することはできない。しかし「女性」の心理や心境についてなら、同性として、あるいは異性としてでもひとまずは「想像」できるし、多少は理解もできるはずだ。

エスター』劇中にて、特に丁寧な表現描写をされているエスターの行動は、実は多くが彼女の異常性ではなく、女性性にもとづいたものだったように思う。だからこそ、普通の人には絶対に理解できないはずの「異常者」である彼女に、なぜか共感し感情移入することができる場面すらあるのではないだろうか。

ケイトの夫ジョンに振り向いてもらえないどころか、そもそも「女」として見てももらえない…つまり、そもそもケイトと同じ土俵に上がることすらできない。


「女」としての敗北…この感覚が、エスターの残虐性や攻撃性になお拍車をかけたとも言えるような気がする。

もちろん映画を観るうえでは、エスターのことを単に悪質な犯罪者・異常者として見ることもできる。でもそれだけではなく、どこにでもいるような「一人の女性」として苦しむ彼女の姿も、劇中にはたしかに存在するのだ。

 

理解できない異常者としてではなく、自分と同じように悩み苦しむ人間としての姿もあわせもつエスターだからこそ、視聴者側はつい入れ込んでしまうし、恐怖を覚えながらもどこか親近感さえ抱いてしまう。

 

映画『エスター』は、ジャンルとしてはサイコホラーに分類されるのはたしかだ。しかし、一人の女性の苦しみと葛藤を描いた作品として、あるいは”愛憎劇”として、ホラー以外の要素を楽しめるのもまた、当作の大きな魅力ではないかと思うのである。