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『暁のヨナ』第100話「傷つかない体」ネタバレ感想と考察 黄龍ゼノの秘密が明らかになったとき

現時点(2022.8)で既刊38巻(しかもまだまだ続きそう)。
なんとも少女漫画離れした長期スパンで連載中の『暁のヨナ』ですが、やはりこれまでの連載の中である種、物語の岐路と言えるような重要な展開がいくつもあったなぁと数年来のファンとしてはしみじみ思います。

 

そのうちでも第100話「傷つかない体」は、個人的には最も大きなポイントとなる話だったんじゃないかなと思うのです。

 

今さらですけど、今回は第100話の展開を私なりに振り返ってみました。ネタバレ要素がありますので未読の方はご注意ください。

 

 

 

 

暁のヨナ』第100話で明らかになったゼノの秘密「不老不死」

黄龍は死なない」。ゼノがこの一言を発した瞬間に… 『暁のヨナ』という物語はすっと次のステージに移ったんじゃないかと思います。それくらい重い一言でした。

このゼノの言葉によって私たち読者は、『暁のヨナ』は単にハクヨナスウォン、そして現四龍たち一世代のあれこれだけに収まるようなスケールの小さい話ではないという重い事実をあらためて突きつけられてしまったところがあります。


もちろんそれまでの展開の中でも少しずつ少しずつ、そういう「ニュアンス」だけはひっそりと描かれていたと思うのですが。

暁のヨナ』は、ひとつの世代の単なる王位奪還を描いただけの平坦な物語ではない。そしてそのことを最も強く裏付ける鍵は、他でもない黄龍ゼノが持っていると言えるでしょう。

胴体めった刺しにされて、手足切り落とされて首まで落とされて、それでも「いやっ俺は死なないよ?」とにこっと笑うゼノ。この一コマが出た瞬間に、「あ~、もう…やられたな」と思いました。

まあゼノが他の四龍とは「違う」というのはそれまでにも作中で小出しにされてきた要素であり、だからいつかは「こういうシーン」が来るんじゃないかなというところは大半の読者が予感していたんじゃないかと思うんですよね。

しかし「不老不死要素」の初出しの場面が、仲間たちの前で…というよりは「敵」の前でやむを得ずの状況でのことだったところからしても黄龍の運命の悲劇性を最大限にあらわしているような気がします。首がパーンととぶシーンを初めて見たとき、思わず頭を抱えたくなった。いやあ…少女漫画であんな残酷な属性説明描写はなかなかないでしょう。 

 

 

 

ゼノは生まれつき「人としての器」が大きいのではないだろうか

シンアジェハキジャの三人に関しては、作中で「幼少期の様子、生い立ち」ががっつり描かれているけれど、ゼノに関しては彼自身が幼いころのことというのは、ほんの一コマも描かれていないんですよね。

あくまで本人が「神の声がちょっと聞けるだけのただの子どもだった」と言っているだけで、作中にその描写は一切ありません。


個人的にはここに少々違和感というか、やはり何らかの意図があってのことなのかなあと思っています。
まあストーリー上の都合もあるのかもしれませんが、やはりこれは黄龍であることを除いてもそもそも「ゼノがただの人ではない」ことを強調するためと言ってもいいのではないでしょうか。


作中において、シンアとジャハについては村人から憎まれ恐れられる描写がはっきりありますし、キジャに至っては生まれ落ちた瞬間から実の父親に憎まれ傷つけられるという、究極の「四龍であるがゆえの悲劇」が描かれていますよね。

こういった描写さえ、ゼノについて作中に全くない。流れ的に少しくらいあってもおかしくはないと思うのですけどね。

たとえば輪廻転生の概念が正しいとすれば、ゼノはおそらく「人間を何回もやってきてすでに人としての器の大きさを備えていた人」くらいの属性なのではないだろうかとさえ思います。つまり、世の理不尽を憎む・恨むという感情が生まれながらに薄い人。

通常であれば、不老不死を描くならまずは「死なないから俺は最強だ」という切り札的な描き方、あるいは「死にたいのに死ねない」という究極の悲劇を描くやり方の二つがあるんじゃないかと思いますが、作者草凪先生はおそらくそれとはちょっと違うことを描こうとしているように思うのです。


それが「神様に背いても、願いを叶えてみせる」というゼノのひとりごとに集約されているように思います。ゼノのこの台詞にものすごい前向きな期待を描いた読者はきっと私だけではないでしょう。

 

私はたとえ漫画の世界と言えど、苦痛を丸ごと受け入れることが美徳とされるような風潮を「肯定」して欲しくありません。たとえば、運命をまっすぐ受け入れたカシさまとヨンヒさまお二方の信念とか、最期の言動・態度は「美しく」はあるけれど、個人的にはもっともっと「運命」に抗ってほしかったと思います。


普通の女として母として、夫や子供とともに平和に生きていく道を奪われた憤りを、もっと前面に押し出して欲しかった。なりふり構わず泣き喚いて運命を憎むような描写が、ちょっとでいいからあって欲しかったなあと思ったり。


特にカシさまについてはそれは顕著ですよね。作中ではあくまで「聡明な巫女さん」としてしか描かれていない彼女ですが、普通でない力を持っているのならなおさら、理不尽さに対して泥臭く抗う描写がもっとあっても良かったのになと思ってしまう。

 

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ゼノは最愛の人を喪ってからずっと、長い長い時を経て、ただひとりで待っていたんだろうと思います。「運命に抗う」ときが来るのを。ゼノが本格的に動き出すそのときが、『暁のヨナ』最終章の本格的なはじまりと言えるんじゃないでしょうか…

 

今後も楽しみに見守っていきたいと思います。

 

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▼『暁のヨナ』感想一覧はこちら

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